自分が以前に傷ついた経験があると、二度とそうならないように、すべてを「コントロール」しようとしたくなります。
しかし、その裏側には自身のない自分が隠れていて、しんどい状態でもあります。
そんな「コントロール」の心理と、その処方箋である「信頼」についてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.コントロールしようとするのは、自信や信頼がないときだけ
何かをコントロールしようとするのは、自分がまた以前のように傷ついてしまうのではないか、という怖れに対する反応です。
そうした反応の潜在意識には、かならず私たちが過去に信頼と確信を失ってしまったときの古い傷があります。
信頼とは、あなたの意識がすべてひとつにあわさり、ある方向に集中したときの心の力です。
ある状況に「信頼」をあてると、そこに自信が生まれます。
それによってコントロールを手放すことができ、ものごとが前に進むのです。
あなたが信頼すれば、悲劇だったり否定的に見えていたこともスムーズに運びはじめます。
それがまさしく信頼という心の力のはたらきなのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.90
2.「コントロール」は自立の典型的な症状
「コントロール」は過去の傷ついた経験から
今日のテーマは「コントロール」です。
「支配」、「制御」とも呼ばれる、自立の典型的な症状の一つですね。
「自分の価値判断によって、相手を思い通りに支配しようとすること」、とでも表現できるでしょうか。
ありますよねぇ…これ。
引用文にある通り、私たちが相手を「コントロール」しようとしてしまうのは、以前に傷ついた経験ゆえに、です。
何かとても傷ついた、ショックだった、うまくいかなかった経験をすると、私たちは二度とそのような経験をしないように、という意識がはたらきます。
それは、そうですよね。誰だって、痛いことは何回も経験したくないですから。
そのために私たちは、過去の経験から、因果関係を見出します。
「思ったことをすぐ口に出すと、嫌われる」
「お誘いを断ると、陰口をたたかれる」
「信頼してお金を貸すと、返ってこない」
こうした思い込みは、私たちの無意識の中に、たくさんあるのでしょう。
そうしてできた思いこみ、価値判断を、相手に強要してしまうのが、「コントロール」ともいえるのでしょう。
「コントロール」の裏側にある、自信のなさ
「コントロール」はもともと傷ついた経験に端を発しているので、その裏側には「自信のなさ」があります。
「傷つきたくない」という、弱い自分ですね。
この自信のなさというのは、仕事の上だと、分かりやすいですよね。
誰かに仕事を任せるとき、自分がその仕事に自信がないと、すごく細かく指示を出してしまったり、しませんでしょうか。
その仕事に自信がないと、相手の行動を「コントロール」しようとしてしまいがちです。
部下にああせえ、こうせえと細かく口出しをする上司は、実は自信がないのかもしれません。
反対に、おおらかに「好きにやれ」と構えていてくれるリーダーは、「結果がどうなっても、受け入れられるし、何とかなる」という自信を持っています。
このように、「コントロール」してしまう裏側には、自信のなさが見え隠れするようです。
はい、耳の痛い話です笑
部下に対して「任せた。責任は取るから、好きにやれ」とは、簡単には言えないものですし、パートナーに対して「あなたの好きにしていいよ」と言うのは、どこか抵抗があるものです。
一歩、一歩、自信をつけていくしかないのでしょうね。
3.信頼によって、コントロールを手放す
「愛が受け取れない」という問題
「コントロール」を続けても、自分が想像した以上の結果は生まれません。
それどころか、それ以下になることがほとんどです。
重い鎖に縛られた奴隷が、いきいきと生産性を上げられるかといえば、そうではないでしょう。
人間関係においても、それは同じです。
「コントロール」してくる人は、避けたくなるのが、人の心理です。
そして、さらに大きな問題は、「コントロール」をしていると、相手からの愛が受け取りづらくなってしまう、ということです。
相手が自分に対して、愛を差し向けてきても、「自分がコントロールをしてるからだ」と捉えてしまうのですね。
これが、とてもしんどい。
自分にとっても、相手にとっても。
自分からすると、望んでいた結果のはずなのに、なぜか灰色に見えてしまい、受け取れない。
相手からすると、せっかく自分から愛を届けたのに、それを受けとってもらえない。
これが、「コントロール」の心理が引き起こす、大きな問題の一つです。
「信頼」によってコントロールを手放す
最後に、そのような問題の引き起こす「コントロール」への対処法です。
引用文にある通り、「コントロール」は「信頼」によって手放せるといいます。
「信頼」。
なかなかに、広義的で難しいものです。
何を、どうやって信頼したらいいのだろう?と、考えてしまいますよね。
そんなときは、「それができている人って、どんな人だろう?」と想像してみるのも、いいかもしれません。
先ほどの例で挙げた、「任せた」と言えるリーダーですね。
今まで出会った人で、そんなステキなリーダーはいませんでしたでしょうか。
私も思い浮かぶ方がいますが、そうしたリーダーの方は決して、ただ「強い」わけではないように思います。
言い換えると、「傷つくことを怖れる弱い自分」を克服しているか、といわれると、そうでもないように感じるのです。
「弱い自分」を隠して「強がる」のは、イバラの道です。
その道を進むと、もっと強がらざるをえない状況が、やってくるかもしれません。
そうではなくて、ただただ「信頼」しているのではないかと思うのです。
任せた相手を、任せた自分を、そして、プロセスを。
それを、信じている。
そして、自分のできること、できないことを、よく分かっている。
パートナーシップでも、同じかもしれません。
「どういう選択であれ、あなたの選んだ道を尊重する」
その上で、自分がどの道を歩むのか、選ぶことができる。
言うは易く行うは難し、ではありますが、そんな風にイメージを持つだけでも、「信頼」する方に意識が向いていくのでしょう。
今日は、「コントロール」の心理と、それを手放す「信頼」についてでした。
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