好きなことや愛することに、その人の「本質」は宿ります。
そして、何に心を悩ませるかにも、その人の「本質」は立ち現れるようです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.「本質」は、つねに魅力的なもの
あなたの「本質」とは、人の承認をまったく求めていない部分です。
みずからの本質のままに生きるときは、自分を守るためにキャラクターをつくりあげることもなければ、仲間に入れてもらうために犠牲をはらうこともありません。
「本質」はとても魅力的なので、おのずと輝きを放射してその人の美しさを表現します。
それは自発的・直感的で、しかも楽しく愛嬌があります。
人はみなこうしたエネルギーが大好きです。
あなたがだれであるかは関係なく、本質を表現しているかどうかがポイントなのです。
それはカリスマ性につながります。
あなたのまわりには興奮と刺激に満ちた電気のようなエネルギーが発生し、あなたのオーラの場が形成されます。
本質を生きることは、ごく自然にリーダーシップを生きることになります。
あなたが自分の本質に誠実に行動していると、人々はあなたのもとにやってきます。
そこでは仲間に入るために自分の才能を切り捨てることなく、ひとりひとりがクリエイティブに真実のつながりの感覚にむかっていくことができるのです。
だれでも「本質」はつねに魅力にあふれています。
それはまぎれもないその人自身の姿であり、まわりの人々をよい気持ちにさせるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.437
2.「本質」、あるいは才能
今日のテーマは、「本質」です。
その人自身の才能、その人らしさといったニュアンスに近いでしょうか。
コンサートの前の、あの高揚感
「本質」という言葉を聞いて思い浮かぶのは、コンサートや舞台といったものの幕が上がる前の、あの高揚感です。
みんなが、そのアーティストや舞台が大好きで、「早くその姿を見たい!」とワクワクしている。
そして、そのエネルギーが、場に満ちている感覚。
それが、アイドルの場合もあるでしょう。
歌舞伎の場合も、あるのでしょう。
パンクロックの場合もあれば、クラシック音楽の場合もあるかもしれません。
その対象に向けて、愛を差し向けている姿。
それは、その人の「本質」とつながっているように思います。
それは、喜びの表現、感じ方、受けとり方に、周りの承認を求めていないからかもしれません。
とかく私たちは、周りからの視線、あるいは他人に承認されるかといったことを、気にします。
「どうやったら愛されるか」という怖れの中にいる、と言えるのかもしれません。
けれども、上に挙げたような「現場」では、誰もそうしたことを気にしていません。
アーティスト、アイドル、歌舞伎役者、演奏者…そうした対象を、どう愛そうか?しか、考えていません。
そこに、その人の「本質」があられるのかもしれません。
みずからの本質のままに生きるときは、自分を守るためにキャラクターをつくりあげることもなければ、仲間に入れてもらうために犠牲をはらうこともありません。
この部分なんて、まさにライブの幕が上がる前の状態を指しているように聞こえます。
そう考えると、世のエンターテイメントや芸事に従事されている方は、ほんとうに尊いな、と感じます。
好きなことを突き詰めると、自分がその対象になる
すいません、少し「本質」のテーマとは離れてしまいました笑
けれども、「本質」を生きるときのイメージの参考には、なるのではないでしょうか。
私たちは、そうしたエネルギーが大好きです。
そうしたエネルギーを発している人は魅力にあふれ、カリスマ性を纏い、リーダーシップを発揮し、輝きを放ちます。
それは、特定の誰かに与えられたものではなく、すべての人に平等に与えられているものです。
ただ、その「本質」のかたちは、人によって異なります。
歌舞伎を見て感動する人もいれば、ジャニーズのコンサートに涙する人もいれば、ウィーン・フィルの音に身震いする人もいるように。
誰かの「本質」は、あなたの「本質」ではありません。
その「本質」のヒントになるのが、「好き」という感覚です。
カウンセリングのなかで、クライアントさまの好きなこと、惹かれることをお伺いすることがあります。
その方のエネルギーが、どんなことに反応するのか、何に心を惹かれるのか、そこから「本質」を探すヒントにさせていただくためです。
その「好き」を突き詰めていくと、必然的に自分自身の「本質」を発揮していくことにもなります。
好きなことに夢中になるほどに、私たちは膨大なエネルギーを発し、輝きを放ち、そして多くの人を惹きつけるようになります。
それは、自分自身の「本質」を生きることと、同じことです。
もっともらしく書いていますが、考えてみれば当たり前のことですよね笑
好きなことをしている人は、生き生きとしていますし、人を惹きつけるものですから。
3.悩みのなかにも、「本質」は立ち上る
好きなことのなかに、「本質」は宿る。
ある意味で当然のことをお伝えしたうえで、その逆のことについても、お伝えしておこうと思います。
カウンセリング的な、視点といえるかもしれません。
私たちは、自分の好きなことや、愛することにエネルギーを注ぐほどに、自分の「本質」を生きることができます。
「どうしようもなく、これが好き!」と言える人は、たとえこちらがその対象に興味がなかったとしても、とても魅力的ですよね。
その反対に、その人が心を悩ませることのなかにも、その人の「本質」は立ち上るものです。
私たちは、大切なことにしか、意識を向けません。
まったく興味の無いことには、エネルギーを割けないのです。
それは、好きなことでもそうですが、私たちが心を痛めたり、悩んだりすることも同じです。
何に、悩むか。何に、心を痛めるのか。
それに、その人の「本質」が見えてきます。
それはある意味で、「好きなこと」よりも、根源的な「本質」といえるかもしれません。
「好きなこと」は、時に周りからの影響を受けたりするからです。
みんなが、これを好きだから、好きっていうことにしておこう、という心理は、誰にでも起こりうることだと思います。
けれども、自分が心を悩ませることには、そういったことはありません。
「みんなが悩んでいるから、私も夫婦関係で悩んでみるか」、なんていう人はいないと思います笑
心を痛めること、悩むことは、どこまでもパーソナルなものであり、だからこそその人の「本質」と不可分です。
パートナーシップで悩む人は、深く愛することのできる人です。
仕事やビジネスで悩む人は、世界にとても大きなものを与えることができる人です。
お金で悩む人は、豊かさの本質を知ることのできる人です。
家族との関係で悩む人は、居場所やつながりをつくることのできる人です。
悩みや心を痛めることは、その人の「本質」と深く結びついています。
カウンセリングでお話を伺うことは、その方の「本質」に触れることだと、私は感じています。
だからこそ、カウンセリングは素晴らしいな、と思うのです。
今日は、「本質」というテーマについて、お伝えしました。
好きなことのなかに、その人らしさは宿りますが、悩みや心を痛めることにも、それは現れます。
だから、「こんなことで悩むのは、おかしい」とか、思わないでくださいね。
それはあなただけの、あなたにしかない、大切な「本質」のあわわれでもあるのですから。
私は、そこに光を当て続けたいと思っています。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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