心が痛みや悲しみを感じるとき、無理にそこから抜けようとしなくてもいいんです。
悲しみに明け暮れることの大切さと、人の心の強さについて、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.心が打ちくだかれたとき、与えれば新しい誕生を迎える
胸がはりさけるような悲しみは、私たちをちぢこまらせ、閉じこめてしまいます。
一方、与えるということは、高次の意識ととても大きな愛を生みだします。
もしも胸がはりさけるような悲しみを体験しているときに、あなたのなかを流れる感情をあますところなく感じて、そのままのあなたで与えることを選択すれば、心と意識が拡大しはじめるのです。
同時にそれに付随する絶望感や、すべては無駄だとか役に立たないという感情、孤独感、むなしさ、嫉妬などの感情もすべて癒されていくことでしょう。
与えつづけようとする心があなたを変容させます。
痛みをすべて通過しなくても、楽に誕生を迎えられるのです。
あなたの心がくだけ散ってしまったら、できるかぎり全面的に与えてください。
それによってあなたの人生は救われ、痛みが変容し、過去にこわれてしまった心が修復され、打ちくだかれた痛みに費やす時間はうんと少なくなります。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.457
2.「心の痛み」について
今日のテーマは、なんでしょうね。
心理学的なテーマというよりは、私たちの心の痛みについてのとらえ方、考え方について、お伝えできればと思います。
悲しみに明け暮れることの大切さ
胸がはりさけるような悲しみ、あるいは心が打ち砕かれたように感じる経験。
できればご遠慮願いたいものですが、ときに人生のなかではそういったことが起こることがあります。
愛おしいパートナーとの失恋。
親しい人との別れ。
叶わなかった夢、あるいは挫折。
失意や絶望、孤独や虚しさといった痛みもあれば、ブレーカーが飛んだように、何も感じないくらいショックな経験をすることもあります。
そんなときに大切なのは、その痛みについて分析したり、そこから何かを学ぼうとすることではありません。
その痛みに、悲しみに、ただ身をまかせることだけです。
そこで、何かしようとしなくても、いいんです。
例えるなら、大きなケガをしているのに、それを無視して「この経験を活かして、次の大会ではいい結果出すぞ!」と言っているようなものです。
いや、その前に、まずは応急処置が必要ですよね。
出血していたり、骨折している状態で、トレーニングも何もありませんよね。
身体的なものですと分かりやすいのですが、こと心のことになると、私たちはほんとうに自分の状態を、軽く考えてしまいがちです。
心が打ち砕かれるような経験。
胸がはりさけるような経験。
そんなことが起きたら、まずは悲しむことに明け暮れていいんです。
涙が流れるならば、流れるままに任せていいんです。
自分がからっぽになったように感じるのならば、そのからっぽな感じに浸っていいんです。
悲しみを、涙を、虚空を、そのままに。
それが、心が痛みを感じたときに何よりも大切なことです。
鬼軍曹の声に、耳を傾けるな
しかし少しの間、自分の感情とつながれたとしても、すぐに私たちのなかの鬼軍曹が、こう言ってくるかもしれません。
「いつまでグズグズしているんだ」
「みんながんばっているんだぞ」
「いいかげんにしろ」
「普通の人なら、もう立ち直っているはずだぞ」
しかし、この誘いに乗ってはいけません。
パタン、と耳を塞いでください笑
何か月泣いたら終わりとか、これだけ悲しんだら大丈夫とか、そんな基準はありません。
ただただ、悲しみに明け暮れること。
安全な場所で、自分の想いを吐露すること。
それは、心がばらばらになるような経験をしたときに、なによりも大切なことです。
感情を感じることは、最高の癒しといわれます。
悲しみや痛み、寂しさや虚しさ、無価値感、そうしたものを感じることが、怖いのではありません。
それを抑えて感じないようにしてしまうことが、よっぽどおそろしいことなんです。
嵐は、必ず過ぎ去ります。
けれども、嵐を怖れて、航路を見失ってしまうことが、何よりも怖いことです。
悲しみに明け暮れること。
ちゃんと、絶望すること。
涙を、がまんしないこと。
それをしなかった私は、ずいぶんと時間がかかった気がします。
どうか、感じることを、怖れないでください。
どんな感情も、感じることで必ず抜けていきます。
3.心は、必ずよみがえる。何度でも。
心が痛いときは、心が広がっているとき
心が痛いとき、心がばらばらに打ち砕かれたように感じるとき、心が絶望の淵に沈むとき。
私たちの心は、その痛みの分だけ広がり、大きくなっています。
ほっぺたをぎゅーっとつねると、とても痛いものです。
けれども、同時にそのつねられたほっぺたは、広がっています。
痛み、あるいは悲しみというのは、私たちの心を広げてくれます。
悲しみの嵐の、真っただ中にいるとき。
分厚い雲に覆われているように見えても、その先には必ず北極星が光っているものです。
無理に、広げようとか思わなくてもだいじょうぶです。
ただ、その先には、いままでとは違う自分がいる。
そのことを信じることは、できるように思います。
誰かのために生きるとき、心は立ち直る
いつも、このブログでは自分の価値を受けとること、自分を愛すること、自分を大切にすることの大切さを書いています。
悲しみに明け暮れることも、その一つのかたちです。
感情を感じるというのは、自分自身を愛することと同義だと思います。
もちろんそれを大前提とした上でなのですが、私たちの心は、誰かのために生きるときに、無限の強さを発揮します。
誰かのために。
大切な人のために。
愛する人のために。
自分を与えようとすることが、痛みや悲しみに縮こまってしまった私たちの心を、大きく変容させます。
これは、私自身も、何度も経験してきました。
大切な人のため。
自分を愛してくれる人のため。
自分を愛してくれた人のため。
お話をお聞かせくださる、クライアントさまのため。
そのためであれば、自分の痛みなんて、なんでもないんです。
それは、犠牲と似ているようで、まったく違うものです。
繰り返しにはなりますが、自分を愛する、自分を大切にする、ということが大前提としてのお話です。
それを忘れると、すぐに犠牲の罠にはまってしまいますから。
はい、私も何度もはまっております笑
それはそれとしても。
人の心って、ほんとうに強いんです。
どれだけ傷ついたとしても、何度傷ついたとしても。
心は、必ずよみがえります。
私はそれを、お伝えしていきたいと思っています。
今日は、心の痛みというテーマで、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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