「天国には、二人ずつでしか入れない」
有名なこの言葉の意味するところを、考えてみたいと思います。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.天国には、二人ずつでしか入れない
「天国」というのは、よろこびと愛と至福感に満ちあふれた意識の状態です。
天国の扉を開くには、許し、身をまかせ、想像するという愛の状態によってしか入ることができません。
このどれもが一体感と関連しています。
したがって天国には、二人ずつでしか入れないのです。
あらゆる不平不満はおたがいの足を引っぱってしまいます。
許しは、人も自分自身も自由にしてくれます。
地獄というのは自分が完全に孤独で、拷問されているように感じる意識の状態であるのに対し、天国は分ちあいと一体感の状態です。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.339
2.親密感と永遠
今日のテーマはいつにもまして感覚的で、説明するのが難しいですね笑
私なりの解釈で書いてみたいと思いますので、心理「学」というよりは、ハートで感じる、そんな感覚でお読みいただけると、幸いです。
天国、あるいは愛、永遠、無限
「天国には二人ずつでしか入れない」
私が心理学を学ぶ中で、印象深い格言の一つです。
有名な格言なので、お聞きしたことがあるかもしれません。
「天国」という語が、肉体的な終わりを迎えた後の世界をイメージされるかもしれません。
一般的に使われる文脈からすると、その意味でしょうから。
そうすると、死後の世界には、二人ずつでしか入れないのか?と思われるかもしれませんが、その意味に限ったテーマではないと私は思います。
以前にここで、「愛情」と「愛」の違いについて書いたことがありました。
「愛情」と「愛」の違いについて ~愛情とは感情であり、愛は時を止める
「天国」とは、ここでいうところの「愛」に近いものであり、「永遠」、「神さま」、「無限」といった概念と、近いものです。
それは、肉体としての生が終わりを告げた後に訪れる世界ではありません。
いま、ここに並行して存在している世界といったニュアンスです。
私たちは、この世界に肉体を授けられ、有限としての命を生きます。
それは、どんな人であろうと、変わらない事実です。
けれども、そうした有限の生とは別に、永遠としての生もまた、存在します。
そうでもなければ、愛や永遠、天国といった概念を、私たちはつくらなかったように思います。
今日の「天国」を、そういった意味でとらえると、少しわかりやすくなるのではないでしょうか。
「天国」への扉の鍵は「許し」
さて、そうした「天国」への扉の鍵は、「許し」であるといいます。
「許し」とは、相手やできごとを主体的に受け入れることであり、感情的に相手を理解することであり、ひいては罪悪感から自分を解放することです。
その人と同じ立場ならば、自分の同じことをしていたかもしれない。
許せない相手に対して、ほんの刹那でも、そう感じることができたとき。
世界が一瞬で変わります。
いままでいた世界から、まるで違う、遠いところにきてしまったような。
そんな感覚に陥ることがあります。
そういった経験をされたことがある方も、いらっしゃるのではないでしょうか。
わたしはわたし、あなたはあなた
それが、この世界における事実です。
しかし、そうした「許し」のプロセスを歩んでいくと、
わたしはあなた、あなたはわたし
という感覚が宿ることがあります。
それは、許しのプロセスの中の「相手を感情的に理解する」という地点から、そう遠くない場所にあります。
そこで感じるのは一体感であり、親密感であり、つながりであり、至福です。
それは、「天国」への扉が開く瞬間、といってもいいのでしょう。
しかし、私たちはせっかくこの世に与えられた生身の身体を楽しみたいのか、なかなかそこにとどまることができないようです。
「許せた」と思っても、次の瞬間には執着がぶり返すように。
「天国」への扉をくぐったら、それでハッピーエンド、とはいかないようです笑
けれども、それが「ある」ということだけでも、十分な気もします。
3.わたしのなかに、あなたのかけらを見ること
私たちは、とかく「天国」へ一人で入りたがります。
自分一人で入りたがる人もいれば、このブログを読んでいるあなたは、「私はいいから、あなただけが入って」と言ってしまうのかもしれません。
けれども、「天国」へは一人では入れない。
「許し」、そしてつながり、親密感、一体感こそが、その扉を開く鍵なのですから。
二人でしか、「天国」へは入れない。
それは言い換えると、自分一人ではどうすることもできない領域であるともいえます。
あなたを導いてくれる相手がいないと、「天国」には入れない。
その相手は、もっとも難しいと感じる相手かもしれません。
あるいは、もっとも愛している相手かもしれません。
いずれにしても、その人との間に横たわる川に、橋を架けることが必要です。
その橋のことを、「許し」とも呼びます。
そしてそれは必ず、あなたの方から、架けることのできるものです。
いつでも、その扉の鍵は、あなたの目の前にあります。
許し、手をさしのべ、受け入れ、そしてつながりを感じること。
わたしの心の闇のなかに、あなたの心の光を見ること。
あなたの心の闇のなかに、わたしの心の光を見ること。
あなたの瞳のなかに、わたしの瞳を見ること。
そして、そのわたしの瞳のなかに、あなたの姿をも見ること。
わたしのなかに宿る、あなたの温もりを感じること。
あなたのなかにある、わたしのかけらを愛でること。
あなたはわたし、わたしはあなた。
「天国」とは、「愛」とは、「永遠」とは、
そんなに遠くにあるものでもないのかもしれません。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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