生きる上で起こる、いろいろな「問題」。
その「問題」が起こる原因を、3つの視点から考えてみたいと思います。
その上で、「すべての問題は自分がつくっている」という視点を、お伝えします。
それは、大きな大きな恩恵を与えてくれる視点です。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.順調にいくのがこわいとき、問題をつくる
あなたが「問題」をつくるのは、受けとることを怖れているからです。
自分にはそれを受けとる価値がないとか、それを受けとったら自分が押しつぶされてしまうのではないかと怖れているのです。
あなたは自分の人生の創造者です。
これからの人生がどうなっていくのか、究極の責任は自分にある、と考えてみましょう。
あなたの問題になっていることを見てください。
それをつくりだしているのはあなた自身なのです。
なぜあなたは、自分自身をそんな目にあわせているのでしょうか。
どうして自分にそんなに多くの問題を背負わせるのでしょうか。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.101
2.「問題」ができるまで
すべての問題は、自作自演である
今日のテーマは「問題」、あるいは「自作自演」になるでしょうか。
「すべての問題は、自作自演である」
とは、私が心理学・カウンセリングを学んだ根本裕幸師匠は、よくそう仰られていました。
解決したい悩み、問題があって、心理学を学び始めた私にとって、それは驚くべき理論でした。
「この問題を、自分がつくっているだって?こんなにしんどいのに?」
と、到底納得できない!ありえない!と感じたことを覚えています。
あ、すいません、過去形にしてカッコつけてしまいました。
いまでも自分の思い通りにいかないことが起こると、よくそう思います笑
しかし、結局のところ、自作自演なんですよね。
3つの視点から、それを説明してみたいと思います。
大切なものでしか、人は悩まない
まず一つ目は、「大切なものでしか、人は悩まない」という原則です。
今年のプロ野球の開幕が近づいてきましたが、新しく立浪監督が就任した中日ドラゴンズが、スタートダッシュを決めるのかは、私にとって悩ましい問題です。
それは、私が中日ドラゴンズファンであり、ドラゴンズが私にとって大切なものだからです。
野球に興味がない人にとっては、どうでもいい話題ですよね。
「ドラゴンズと悩みを一緒にするな!」と言われるかもしれませんが笑、人は大切なものでしか悩みません。
どの悩みも、その人その人にとって、パーソナルで特別なものです。
そして、同じ状況にあっても、それを「問題」ととらえる人と、そうでない人がいます。
たとえば、勤めていた会社が倒産したとして。
新居を買ったばかりで、これからもずっと勤めようとしていた人にとっては、大問題になることでしょう。
しかし、いつか独立しようと考えていた人にとっては、これはチャンスだと思うかもしれません。
たとえば、パートナーから離婚を切り出されたとして。
そのパートナーが大切だと思っている人にとっては、人生を揺るがす大問題になるでしょう。
しかし、新しく自分の人生を歩んでいきたいと常々思っていた人にとっては、渡りに船だと感じるかもしれません。
少し極端な例かもしれません。
けれども、どんな問題も、それを問題とするのは、その人です。
人は、幸せになることを強く怖れる
二つ目の視点は、「人は、幸せになることを強く怖れる」という点です。
時に人は、不幸になることよりも、幸せになることを怖れます。
え?と思いますよね。
けれども、思い当たる節がある方は、たくさんおられるのではないでしょうか。
大切な決断をするときに、得体のしれない「怖さ」を感じることがあります。
幸せになりたくて、その決断をするはずなのに、どうにも「怖い」。
人生において、大切な決断であればあるほど、その「怖さ」は大きくなるようです。
それはもちろん、先の見通せない怖さや、未経験のことに対する怖れもありますが、大きいのは「幸せになることへの怖れ」ではないかと思うのです。
そうして、その怖さから、幸せになる前に自ら「問題」を起こして、幸せから目を背けさせてしまうことが、よくあります。
とても魅力的なパートナーに、なぜか悪態をついて逃げ出してしまったり。
自分で準備したプレゼンの前日に、なぜか体調を崩してしまったり。
そういったことは、多かれ少なかれ、誰にでもあることのように思います。
自分は世界の創造主である
三つめは、自分は世界の創造主である、という視点です。
「投影」の回でお伝えしたように思いますが、この世界は自分の内面を映し出したもの、という視点があります。
これを突き詰めていけば、「自分が見ている世界は、自分がつくっている」と考えることができます。
引用文のなかにも、この一文がでてきますね。
あなたは自分の人生の創造者です。
多くのすぐれた芸術作品、あるいはエンターテインメントなどで、繰り返し語られるテーマだと感じます。
それだけ普遍的で、かつ本質的なテーマなのでしょう。
さて、もしそうだとするならば、目に映る「問題」もまた、自分でつくっているといえるのでしょう。
人生の創造者であるということは、限りない自由とともに、自分の人生に対しての責任を持たなくてはならない、という意味も持ちます。
これからの人生がどうなっていくのか、究極の責任は自分にある、と考えてみましょう。
自分が世界の創造主であるということは、どんな世界もつくりだせる自由と同時に、自分の人生に対して、一片の言い訳もできない、という厳しさもあります。
思い通りにいかないことや、問題があったとして。
もしかしたらそれは、その自分の人生に「究極の責任を持つ」ことを怖れているがゆえに、なのかもしれません。
3.もし自分が選んでいるとしたら、という視点を持つ大切さ
無理せず、必要なタイミングでいい
よくカウンセリングでは、「その状況を自ら選んでいるとしたら、なぜだろう?」という視点を用います。
まあ、あまり進んでしたい見方ではありません笑
また、その見方が絶対に正しい、というわけでもありません。
ただ、「もしそうだったとしたら」という仮定は、世界の見方を広げてくれます。
今日の引用文の最後も、そんな見方で終わっています。
なぜあなたは、自分自身をそんな目にあわせているのでしょうか。
どうして自分にそんなに多くの問題を背負わせるのでしょうか。
これは、聞き方によっては、厳しく聞こえるかもしれません。
もし厳しく聞こえるとしたら、きっとそれは、自分がそれを必要としているタイミングではないのでしょう。
自分の問題がしんどくて、余裕がないときには、まずは「休む」「癒す」「緩める」といったことが必要です。
大きなケガをしたときには、まず止血をするように、ショックな出来事が起こったら、まずは悲しみ、憤り、怒り、自分の感情に寄り添うことが大切だと、私は思います。
もし、自分がその問題を選んでいるとしたら
さて、その前提の上で、冷静に自分の問題を考える時間が持てるようになったら。
「なぜ、私はこの問題を必要としたのだろう」
という視点で見てみると、少し違った感触で問題を考えることができます。
すぐには、答えは出てこないかもしれません。
また、答えは一つではないかもしれません。
けれども、それを考え続けると、あるときふっと、「あぁ、そういうことだったのか」という感触が、降りてくることがあります。
その瞬間は、自分の「器」が、問題を受け入れられる大きさに広がった瞬間のように思います。
その問題を、受け入れられる自分になった、と表現できるかもしれません。
そうすると、すごく楽に、その問題について考えられるようになります。
自分が選んでいるのだとしたら、自分で解決できるはず、という自信も沸いてきます。
問題について頭を悩ませる時間が減り、果ては問題があったことすら、忘れてしまうこともあるでしょう。
それは、問題を主体的に受け入れることで得られる、大きな大きな恩恵の一つです。
ただ、それは上に書いたように、自分の中に準備ができてこそ、のお話です。
出血をしているのにリハビリに行こうとしたり、骨折しているのにトレーニングしようとしたり、そんなことをすると、かえって長引いてしまうかもしれません。
まずは、休む、癒す、緩む、といったことをして、自分の感情に寄り添うことから、はじめていけばいいと思うのです。
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