誰かと「主導権争い」をしてしまう心理について、お伝えします。
どんな「主導権争い」も、自分のなかにある「ルール」を守ろうとするがゆえに起こるのであり、その「ルール」は過去に傷がつくりだすものです。
言い換えると、「主導権争い」が起こるということは、過去に傷を癒すタイミングなのかもしれません。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.どんな主導権争いも、過去に傷ついたところを思い出す機会
あなたがだれかと主導権争いをするのは、過去に傷ついたところを、もう二度と傷つくまいと守ろうとしているのです。
いまの状況で相手が演じて見せてくれているのは、あなたの一部です。
それは傷ついたり苦しんだ原因だと思って、あなたが遠ざけ、失い、防衛の壁を築きあげたあなた自身の一部なのです。
いま起こっていることは、昔の傷を思い出すための引き金であり、それを癒すための機会です。
人生の次の一歩にいたる道は、その失われたあなた自身をふたたび統合することだけです。
主導権争いを癒すことは、じつは昔の傷ついた心を癒すことなのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.107
2.主導権争いは、なぜ起こるのか。
今日のテーマは、「主導権争い」…でもいいのですが、どちらかというと「観念」または「自分ルール」になるのでしょうか。
どうして「主導権争い」が起こるのか、その原因を考えていくことにしましょう。
自立するときに抱く「ルール」
私たちの心の成長プロセスは、「依存→自立→相互依存」というプロセスをたどります。
これまでにも、何度か見てきたとおりですね。
依存とは、自分では何もできない、誰かに何かをしてもらいたいというニーズの時代です。
生まれてきたばかりの赤ちゃんを、想像してもらえれば分かりやすいかもしれません。
自分一人では、おむつを替えることもできませんし、ミルクを飲むこともできません。
そうした状態は、相手に振り回されてつらいため、私たちは他人に頼ることをやめて、自分で何かをしようとしていきます。
「依存」から「自立」への移行ですね。
これは赤ちゃんに限らず、小学校に入ったとき、新しいスポーツをはじめたとき、これまでと異なる部署に異動したときなど、さまざまな場面で起こります。
「自立」にいたる過程で、人はさまざまなことを自分でできるようになる恩恵を受けます。
しかし、その逆に大きな問題も抱えるようになります。
「依存」時代に辛かった分、二度と傷つかないように、自分だけの「ルール」をつくります。
この「ルール」は、「観念」「ビリーフ」「思い込み」などとも呼ばれ、自分を防衛するためのものです。
簡単に弱音を吐いてはいけない。
人を無条件で信用してはいけない。
人から恩を受けたら、すぐに返すべきだ。
…などなど、私たちは無数の「ルール」を持っているものです。
自立時代の象徴としての「主導権争い」
自立の状態にいる人は、そうした「ルール」をかたくなに守ろうとします。
それがゆえに、思考的になりることも、特徴的です。
そうした「ルール」があれば、傷つかないですむわけですから、自立が進めば進むほど、強固に「ルール」を守ろうとします。
自立時代の象徴して、正しさに非常にこだわり、正しさで争うことが挙げられます。
これが、今日の引用文にある「主導権争い」ですね。
気付けば、パートナーと、上司と、友だちと、どちらが正しいかで争っている…自立が進むと、そんな状態になったりします。
私も仕事なんかでは「私、絶対に間違ったことは言ってないですから!」と言って、よく周りに怒っていました笑
いやぁ、お恥ずかしい…笑えないですね、ほんと。
自立をこじらせていくと、人は孤立していきます。
正しさを振りかざすということは、相手に「間違っている」というレッテルを貼ることになります。
相手からしたら、「あなたは間違っている」と言ってくる人と、一緒にいたいと思うでしょうか。
…書いていて生々しい感じになってきたので、このへんでやめときます笑
ただ、正しさと幸せはトレード・オフの関係にあるとは、よく言ったものです。
「ルール」の根源には、過去の傷がある
しかし、なぜ「主導権争い」をしてしまうのかといえば、また「依存」の状態に戻るのが怖いからです。
「主導権争い」に負けてしまったら、「依存」に叩き落されてしまう。
それがゆえに、攻撃性を強めて、負けないようにするわけです。
そして、なぜ「依存」になるのが怖いのかといえば、そこで傷ついた経験が、痛いからです。
つまり、「主導権争い」は自分の「ルール」をめぐって起こるものであり、その「ルール」の根源には、過去の傷があるわけです。
ここまでの話の流れで、ようやく今日の引用文の一行目がよく分かると思います。
あなたがだれかと主導権争いをするのは、過去に傷ついたところを、もう二度と傷つくまいと守ろうとしているのです。
依存、自立、そしてルール。
その奥にある、傷ついた自分。
パートナーと「主導権争い」をしてしまう根源には、こんな心理が隠れているようです。
3.主導権争いの相手が見せてくれるもの
「主導権争い」は昔の傷を癒すチャンス
さて、ここまで見てくると、「主導権争い」を違った視点で見ることができます。
すなわち、パートナーシップを含めた人間関係で「主導権争い」が起こったときは、昔の傷に気付き、それを癒すチャンスである、と。
「主導権争い」が起こるということは、相手が何がしかの自分の「ルール」を逸脱してくるからこそ、起こるわけです。
そして、その「ルール」とは、過去の傷ついた経験がつくりだしたものです。
いとも簡単に仕事を投げ出して周りを頼る、アイツ。
全然こちらと向き合ってくれない、あのヤロウ。
なんの断りもなく散在して家計にダメージを与えてくれる、あのバカチン。
そうした自分の「ルール」を軽々しく破ってくる存在は、実は「失われた自分のかけら」を持っています。
人生の次の一歩にいたる道は、その失われたあなた自身をふたたび統合することだけです。
そうした存在を許すごとに、自分の過去の傷も癒されていきます。
失われた自分自身を統合するごとに、自分の「ルール」も緩み、実に生きやすくなっていきます。
自立を癒すアプローチ
さて、そうしたプロセスは、自立を癒すプロセスと見ることもできます。
自立とは思考的になってしまうわけですから、感じること、感覚を取り戻すことが、大切になってきます。
緩む、休む、受け取る、信じる、許すといったアプローチが、有効になります。
自立時代の表現として、「傷ついた男性性」とよく言われます。
傷ついて帰ってきた戦士に必要なものを想像してみると、自立を癒すアプローチがイメージしやすいかもしれません。
ふかふかのベッドであったり、ゆっくり休む時間であったり、傷を手当してくれる人であったり、あたたかい食事であったり…そうしたイメージでしょうか。
ちなみに、カウンセリングで扱うのは自立の問題が多いため、どうしてもそうしたアプローチが多くなります。
「主導権争い」はイヤなものですが、大きな気づきと恩恵を与えてくれるものでもあります。
大丈夫です、そこまでがんばれたのですから。
その傷を癒せるからこそ、「主導権争い」が起こっていると考えてるのも、いいかもしれません。
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