「コミットメント」の心理と、その効用についてお伝えします。
心理学においては、ある状況や問題に対して、しっかりと腰を据えて向き合う覚悟のことを指します。
それは、「いま・ここで・自分ができることを・100%尽くす」という、真摯な態度でもあります。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.コミットメントによってあなたは開かれ、受けとれるようになる
コミットメントとは、可能なかぎり全面的に自分自身を与えるという選択です。
与えることと受けとることは、自然につながっています。
したがってコミットメントに深く入っていくほど、つまり何かに対して自分を与えれば与えるほど、そこから受けとることができるのです。
パートナーに自分を与える分、その美しさや才能、大きさに気づくのです。
与えることによって愛の目が開き、相手のすばらしさが実際に見えるようになります。
相手のすばらしさを決めるのは、あなたのコミットメントと愛(あなたがどれだけ与えているか)なのです。
あなた自身をどれくらい与えるのかによって、それがどれほど重要なのかが決まってきます。
与えていくうちに、通常の自分から抜けだし、自分という枠組みを超えてしまったとき、あなたは変性意識に入っています。
こうしてあますことなく与えることで、あなたは開かれ、よろこびと至福感というすばらしい贈り物を受けとれることができるのです。
人間関係のなかであまり受けとっていないと感じるなら、あなたのコミットメントについて見てみましょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.146
2.心理学における「コミットメント」とは
今日のテーマは、「コミットメント」についてです。
日本語では「肚を括る」という表現が、そのニュアンスに近いかもしれません。
その状況をまるごと受け入れる覚悟
「コミットメント」という言葉は、ビジネスの場面でも使われますね。
「コミットメントする」と言うとき、業績などの目標に対して「責任を持つ」、「約束をする」といった意味で使われる場合が多いかと思います。
ある目標や結果のために、責任を持って深くかかわる、というニュアンスでしょうか。
目標に対してもそうですし、所属する組織やプロジェクトに対して意欲が高い場合にも使われたりしますよね。
金融機関における「コミットメントライン」のサービスは、一定期間、融資限度を設けて、その限度内で自由に借入・返済ができる融資だったりします。
心理学においても、それに近いニュアンスで使われます。
ある問題に対して、しっかりと腰を据えて向き合う覚悟のことを、「コミットメント」と呼びます。
どんなに理不尽なように見えて、
どんなに自分ができることがないように見えて、
どんなに不安や怖れが湧いてこようとも、
「自分が」その問題から逃げない、という覚悟。
それを、「コミットメント」と呼びます。
傍から見れば最悪の状況で、もうだめだと見える時でも、本人が腹を括れているときは、一筋の光を見出せるものです。
これは、自分の置かれている状況や、周りの反応といったものは、あまり関係がありません。
もちろん、必ずいい結果になるだろう、という確信があるわけではありません。
この先、どうなるんだろう、という不安ももちろんありながら、「何とかなるはず、何とでもなるはず」というように、未来を信頼できる状態です。
結果への執着ではなく、その状況をまるごと受け入れる覚悟。
それを、「コミットメント」と呼びます。
「コミットメント」の効用について
「コミットメント」することは、実にさまざまな恩恵を与えてくれます。
どんなにひどい状況が新しく起きたり、それによって不安や怖れが襲ってきたとしても。
「きっと、大丈夫だろう」という強さが、心に根を張ります。
それは、自信や自己肯定感とも言い換えられると思います。
その字信徒は、「〇〇だから、大丈夫」といった、根拠による強さではありません。
「あの人が言っていたから、大丈夫」
「お金があれば、大丈夫」
「別の人がいるから、大丈夫」
そういった自分の外に根拠を求める態度とは、正反対といえるかもしれません。
自分を信頼し、どんな未来も受け入れる覚悟を持つこと。
「コミットメント」とは、そのような態度を指します。
「コミットメント」ができると、状況が何も変わっていなくても、そこに希望を見出せるようになります。
どんな状況が訪れようとも、前向きに歩いて行こう、という気持ちを持つことができます。
繰り返しになりますが、それは結果に執着することとも違います。
自分の望まない結果すらも、受け入れ、前を向いて、歩んでいこうとする態度です。
3.与えれられるものは、何ですか
いま、ここで、自分に、何ができるのか?
さて、そんな「コミットメント」ですが、引用文では「与える」という視点で説明しています。
コミットメントとは、可能なかぎり全面的に自分自身を与えるという選択です。
肚をくくって、その相手や問題と向き合う。
そんな覚悟ができたときに、人はその相手や世界に対して、「なにができるだろう」「何を与えられるだろう」という意識を持ちます。
自分のできることを、全力でする、という選択ですよね。
「こんなことをしても…」という無価値観や、
「迷惑になったら…」という罪悪感や、
「どうせダメだろう…」という悪い意味での諦めに、
耳を貸さないわけです。
「いま」「ここで」「自分に」できることをする。
それ以上も、それ以下もありません。
「コミットメント」とは、そうした「与える」意識ともいえます。
そして、引用文にもある通り、「与える」ことを通じて「受けとれる」ようになります。
また、「与える」ということは、自分の価値や才能と向き合うことになりますので、必然的にそれを相手に投影していきます。
すると、相手の魅力や価値、才能、美しさに気づくことができます。
そこに目を向けると、ますます自分が開かれ、すばらしい贈り物を受け取ることができるようになります。
かくも、「コミットメント」の効用は、素晴らしいものです。
「あなたが望む別れだから」
繰り返しになりますが、心理学における「コミットメント」とは、その問題に対して100%の自分を与えること、といえます。
肚をくくる、というニュアンスが近いのは、そういった意味です。
しかしそれは、結果に執着することではありません。
むしろその逆で、自分の望まない結果すらも、受け入れる覚悟を指します。
私の大好きな「CHAGE&ASKA」に、「男と女」という名曲があります。
もう40年も前の曲になるんですね…ご存知でない方は、ぜひ検索して聴いてみてください。
この曲は、男女の別れの歌なんです。
別れの切なさが歌われているんですが、そのサビにこんなフレーズが出てくるんです。
言葉ひとつに うなづいたのは
あなたが望む離別(わかれ)だから
別れは、決してわたしが望んだ結果ではない。
もっとあなたを愛したかったし、愛を感じたかった。
けれども、あなたに執着することは、愛することは遠いことだ。
「あなたを愛すること」を考えると。
いまのわたしに与えられるのは、「別れること」なのかもしれない。
一見すると、その答えは無価値観、卑屈さ、拗ね、あきらめといったものと同じに見えるかもしれません。
しかし、大きく違います。
ベースになっているのが、「あなたを愛すること=あなたの幸せを願うこと」だからです。
もちろん、そこに至るまでには、多くの見たくもない感情に出会います。
「そんなこと、きれいごとだよ」と思われるかもしれません。
「自分のことを、一番に考えろって、いつも言うじゃん?」と、言われるかもしれません。
わたしも、なかなかその境地には至れないものです笑
けれど、似たような情感を抱いたことのある方は、少なくないように思います。
特に、私のブログを読んでいる方は、きっとそうですよね。
「愛する人の幸せのために、その人を手放すことができますか?」
それは、とても過酷な問いです。
しかし、その人を愛することに「コミットメント」している人は、きっと胸を張って、
「はい」
と答えるのでしょう。
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