誰かからもらおうと期待しているものは、実は自分が自分自身に与えていないものです。
まずは、自分に与えること、自分を満たすことの大切さと、そこからその人の才能を見る見方について、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.人に期待しているものは、あなたが自分に与えていないもの
もしあなたが自分自身を愛し、十分に認めているのなら、人があなたを愛せるようにいつも扉を開いておくことでしょう。
人が与えてくれないことに不平を言いたくなったら、まず自分自身に与えてください。
そうすればあなたは、どれほど多くの人が与える力をもち、与えたいという心をもっているのかがよくわかるはずです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.85
2.まずは、自分に与えること
もらうのを期待すると、ロクなことがない
今日のテーマは、きわめてシンプルかつ、強力なテーマです。
まずは、自分自身に与えること。以上。
いや、分かってはいるんですけどね…難しいですよね。
やっぱり、誰かからもらいたくなるのが、人情ってもんですよね…ほんとに。
しかし、誰かにもらうのを期待してしまうと、ロクなことがありません。
それがもらえないと、非常にショックを受けますし、
たとえそれがもらえたとしても、「コレジャナイ」と不満を感じたり。
ええ、実感がこもっております笑
それはさておき、誰かにもらうことを期待している状態は、実は自分の扉を閉めてしまっているのかもしれません。
城壁の中では、飢えて飢えて、困っているのに。
それでも、固く扉を閉めてしまっている。
この固く閉ざされた扉を乗り越えてこそ、与えたことになるんだよ、と。
そんなメッセージを、相手に与えてしまっているのかもしれません。
容易に愛させない、と言いますか、何というか。
ご想像の通り、自立的な人に多い傾向ではあります。
なんだか、自己紹介のようになってきたので、このあたりにしておきます笑
扉を開ける、自分を満たす
それはさておき、扉を開けるとは、どういうことでしょうか。
一つのカギになるのは、自分を満たす、ということかもしれません。
自分を満たすとは、どういうことか。
文字通り満たすためには、何をしたら満たされるかが、
いま、城内では何が足りないのか。
食糧か、衣料品か、それとも清潔な水なのか。
食糧だとしたら、米なのか、味噌なのか、塩なのか。
そうした自分の望みを、知ることが第一なのだと思います。
それが、一番難しいことではありますが。
ただ、問いかけなければ、それは分かりません。
自分の望みを問い続けることが、大切なのでしょう。
それは、「〇〇がほしい」と願う、自分の中にいる曇りなき瞳をした少年・少女の存在を、認めることでもあります。
童心、純粋さ、ピュアさ、無邪気さ、素直さとも、言い換えられるでしょう。
以前に書いた「依存」の、象徴でもあります。
これが、自立的な人には、キツいんですよね(遠い目)
それを認めてしまったら、また自分が依存の状態に、戻ってしまうのではないか、という怖さであったり、
依存がイヤで、何でも自分でしてきたのに、またそこに戻るのか!という嫌悪感であったり。
自立的な人が、自分に与えることが苦手なのは、そんなところからも、説明ができるかもしれません。
3.欲しくてももらえなかったものは、与えられるもの
カウンセリングでもよく出てくるテーマ
自分を満たす、自分に与える、というのはカウンセリングでもよく出てくるテーマです。
私たちの多くは、自分に対して、世界で一番厳しく接しているものですから。
自分に対して言っていることや見方を、もし他人に対してしたら、モラハラ、暴言、名誉棄損、誹謗中傷罪に問われるくらいのことを、していることがありますよね。
それくらい、気付かないうちに、自分に対して厳しく接しているのが、私たちです。
実際にカウンセリングでは、それを緩める方向でお話しすることが多いです。
しかし、もう一つの視点も、忘れないようにしたいと私は思っています。
それは、欲しくてももらえなかったものは、その人が与えられるもの、という視点です。
不足感からではなく、才能から見る視点
今日のテーマのタイトルにある通り、「人からもらいたいと期待しているものは、自分が自分に与えていないもの」です。
何かが欲しくて欲しくて、それでも与えられないくて、私たちは自立していきます。
それは、家族であったり、豊かさであったり、温かさであったり、いろんなものがあるでしょう。
どうしても得られないとわかったとき、人はその気持ちを封印し、自立していきます。
それが手に入らないことが辛いので、いろんなことで忘れようとします。
ハードワークや、恋愛やセックス、あるいはギャンブルといった、刺激物がその対象になることが多いのかもしれません。
しかし、タイトルに戻って見ると、「自分が自分に与えていないもの」とあります。
ずっと欲しかったものは、実は自分が自分に与えられるもの、と見ることもできます。
そして、もちろんそれは、誰かにも与えられるわけですから、間違いなく才能であるわけです。
なんと、びっくり。
にわかには、信じがたいですよね。
だって、ずっとそれがほしくて、ほしくて、たまらなくて、ずっとしんどかったのに。
それを、自分が与えられるって?それが才能だって?
なんか、キツネにつままれたような、そんな印象を受けるかもしれません。
けれど、カウンセリングをしていると、それは本当に実感します。
家族がほしくてたまらない悩みを持っておられる方が、多くの人に居場所を与えてあげていたり。
ずっと両親に笑顔でいてほしかったと仰られる方が、人を癒すことのできる素敵な笑顔をされていたり。
豊かさに恵まれない経験をされてきた方が、実にいまこの瞬間を豊かに生きておられたり。
似たようなことは、ほんとうにたくさんあります。
もちろん、無自覚な場合が多いです。
「それくらいたくさん与えてこられたんですから、ご自身にも与えられますよ」
かけがえのない才能を持っておられることを、そんなふうにお伝えしていきたいと思っています。
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