大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「与えて抜ける」 ~「与える」ことを考えるとき、人は自分の制限を超えていく。

しんどいとき、辛いとき、人は自分の内側に意識が向いてしまいます。

そうしたとき、周りの人に「与える」ことを意識すると、その状態を抜けることができます。

「与えて抜ける」という、人の心の偉大な力について、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.本当に与えたとき、ひどい気分から解放される

自意識過剰になったり、恥ずかしくなったり、批判されたとき、私たちはちぢこまります。

でも、ひどい気分を味わっているときにこそ、人に与えれば、あなたは大きく広がります。

私たちをちぢこませる人格の壁をつきぬけたとき、自分自身が大きくなったのを感じることでしょう。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.199

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2.しんどいとき、人は自分の殻の中にいる

今日のテーマは、「与える」でしょうか。

人は誰しも、自分を超えて与えることができる、素晴らしい才能を持っています。

しんどいときは、自分の中に意識が向いている

誰にでも、イヤな気分のときって、ありますよね。

パートナーと、ケンカをしてしまった。

仕事の上で、失敗をして恥をかいてしまった。

楽しみにしていたイベントが中止になってしまった。

…などなど、いろんなことがありますよね。

そういったときに、共通していることが、一つあります。

それは、意識が「自分」に向いている、という点です。

意識のベクトルが、自分の内側に向いている状態

それが、しんどい状態のときや、問題のなかにいるときの私たちです。

この状態だと、辛さやしんどさといった、自分のネガティブな感情にばかり、目が向きます。

そうすると、そのしんどさが、自分の中でぐるぐるとしてしまって、抜け出すことができないわけです。

その問題となるできごとを、何度も思い出して、イヤな感情も一緒に思い出してしまったり。

あるいは、これからどうしたらいいのだろうと、これからのことが不安になってしまったり。

なかなか、このスパイラルに入ってしまうと、抜け出ることは難しいものです。

それは、自分のことで、いっぱいいっぱいになってしまって、自分の殻に閉じこもってしまっている状態、と見ることができます。

自分のなかのしんどさ、辛さ、痛み、不安、怖れ…そんなもので、周りが見えなくなってしまう。

その状態だと、周りから援助の手が差しのべられたり、愛を差し向けられたりしても、なかなか受け取れないものです。

これ、なかなか分かっていても、ハマってしまうものです。

3.「与えて、抜ける」という奇跡

「与える」とき、人は自分の枠を超えていく

さて、そうした状態のときの一つの解決策は、「与える」ことを意識することです。

たとえば、仕事に集中していると、プライベートのしんどさを忘れたりする経験は、ありませんでしょうか。

仕事、ビジネスとは、相手に対して「与える」ことをするものですから、意識が外に向くわけですよね。

接客業をしている方などは顕著だと思うのですが、自分がどんな状況であっても、目の前のお客様をどうやったら笑顔にできるか、考えてしまうことはありませんでしょうか。

かつて、私も接客の仕事をしていたことがあります。

店頭に立って、お客様と接しているときには、自分の中のしんどさや不安といったものは、不思議と忘れてしまうものです。

ひとりだったら、長いこと悶々としてしまうかもしれないのに、接客をしていると、壱日があっという間に過ぎてしまう。

そして、お客様から「ありがとう」とか、「助かったわ」とか言われたりすると、ほっこりもしますし、よかったな、と自分自身も笑顔になるわけです。

自分の与えたエネルギーが、循環した瞬間ですよね。

そうした「与える」ことをしていると、不思議と自分のしんどさから抜けていきます。

「与えて、抜ける」とも表現されます。

「どうやったら、この人を笑顔にできるだろう」

それを考えるとき、人は自分の制限や枠を超えていくことができます

 

上にあげたのは、仕事の例でした。

仕事だと、強制的に「与える」立場になるので、そうした状態をつくりやすいようです。

ただ、仕事に限らず、周りの身近な人に対して、「どうやったら、この人を喜ばせられるだろう?」と考えることは、大きな大きな恩恵を与えてくれます。

「まずは自分から」という原則と、矛盾しないか?

さて、ここまで「与える」ことの恩恵について書いてきましたが、もしかしたら、こんな疑問を持たれる方も、いらっしゃるかもしれません。

「いつもいつも、『まずは自分から』とか書いているのに、なんで今日は『まわりに与えよう』なの?それって矛盾しないの?」

…と、そんな風に思われるかもしれません。

なかなか、スルドイですね笑

心理学は「ああ言えばこう言う」学ともいわれますので…と濁してもいいのですが、せっかくなので、少し一緒に考えてみたいと思います。

「まずは自分から」というのは、いつも書いている大原則です。

相手のことを考えると、どうしても振り回されます。

人の気持ちを推し量れる人、やさしい人、敏感な人、周りの空気を読める人ほど、そうですよね。

まずは、自分がどう感じたのか。
自分は、どう思ったのか。
自分が、どうしたいのか。

それを、まずは大切にしましょう、ということです。

その前提の上ならば、周りの人に「与える」ことを考えるわけです。

もちろん、その「与える」ことが、自分自身をないがしろにするとか、犠牲にするとかだと、少し意味合いが違ってきます。

そうではなくて、「相手が喜ぶことを考え、それをすることが、自分の喜びである」ということが、「与える」ことの本質です

「自分には何もないから、相手に尽くす」は自己価値の低さですし、

「相手が喜んでくれるから、自分がうれしい」は犠牲の香りがしますし、

「相手が喜んでくれたら、自分も何か与えてもらえそう」は取引のようですし、

「相手が喜んでくれなかったから、とても傷つく」は期待ですよね。

そうではなくて、「与える」こと自体に、「自分自身が」喜びを感じる。

そうであれば、「まずは自分」という原則と、矛盾しないと思うのですが、いかがでしょうか。

ある意味で、相手が喜んでくれるかどうかは結果であり、あまり重要ではないのかもしれません。

相手の笑顔のために、相手のことを考えて、何らかのチャレンジをしてみる。

そのプロセスこそが喜びであり、「与える」ことの本質です。

もしそこで相手に喜んでもらえなくても、「じゃあ、次はどうしたら喜んでもらえるのかな」と考えることができれば、失敗ではないわけです。

 

いま、なかなかしんどい状況から抜け出せないなぁ、それが長引いてるなぁ、と感じている方がいらっしゃったら。

周りの人に「与える」ことを意識してみては、いかがでしょうか。

もちろん、本当にしんどかったら、ちゃんと休まないといけませんが。

それでも、どうやったら、この人を笑顔にできるだろう、と考えることは、内に向いていた自分の意識やエネルギーを、外に循環させることができるようです。

ご参考になりましたら、幸いです。

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