2022年3月29日火曜日、16時過ぎ。
地下鉄名城線、ナゴヤドーム前矢田駅。
改札を出て左に進むと、バンテリンドームナゴヤへの地下通路が広がる。
その通路の中に浮かび上がる、ドラゴンズ・ロード。
中日ドラゴンズの選手を紹介するパネルが、両脇を埋める。
そのほのかな灯りに、こころは少年時代に飛んでいた。
あの頃は、まだナゴヤ球場だった。
名鉄名古屋本線、ナゴヤ球場前。
改札を出て、薄暗い高架下を歩いた記憶。
父と、歩いた。
高架下の、ガラの悪い落書きが怖くて、できるだけ父にひっついて歩いた。
デイゲームの記憶はほとんどなくて、いつもナイターだった気がする。
いつもお決まりの、ライトスタンド。
足元には、前日舞ったであろう紙吹雪が、うず高く積もっていた。
こぼれたビールか何かを吸って、白い雪のかたまりのようになっていた。
おおらかな、時代だったように思う。
ほんの刹那、少年に戻っていた私は、人の流れにせかされるように、歩いた。
不意に、父の袖を引く小さな私を見たような気がした。
落涙しそうになり、一人で来てよかったと思った。
エスカレーターで地上に出ると、ドームが見えてきた。
時代は、変わった。
私も、歳を重ねた。
球団も、歴史を重ねた。
けれども、今年もまた、プロ野球が開幕する。
今年は、ようやく入場制限なしでの開催。
通路を歩く人の顔に、笑顔があった。
まだ声をあげての応援はできないが、それでも。
この抑えられないワクワクは、なんだろう。
長蛇の列のゲートをくぐると、ドームの中の照明が目に入ってきた。
席に着き、試合開始までの練習を眺める。
小さなボール一つで、人の心を動かす。
何と、プロ野球選手のすごいことか。
あらためて、そんなことを想う。
開幕戦の、セレモニー。
立浪和義新監督の、紹介。
わたしのこころは、またあのライトスタンドに飛んでいた。
1988年の鮮烈なデビューは、私が野球を見始めた時期と重なる。
高卒ルーキーで、ショートのレギュラーを奪取、華麗な守備と勝負強い打撃で、幼い私を魅了した。
1988年。ドラゴンズが、優勝した年だ。
ライトスタンドで、一生懸命にメガホンを叩き、声を枯らして応援歌を歌った。
2009年まで、実働21年。
この人なら、何とかしてくれる、と思わせる選手。
何より、天性のスターともいえる輝きが、眩しかった。
ミスター・ドラゴンズが、ここに帰ってきた。
本拠地開幕戦、先発を任されたのは左腕・小笠原慎之介投手。
ノビのあるストレートと、チェンジアップの緩急を使ったピッチングを、この本拠地開幕戦の緊張感の中でも、披露していた。
一球、一球に息をのみ、見守る。
ランナーを出しながらも、粘り強いピッチングで、味方の援護を待つ。
こころは、どこに飛んでいたのだろうか。
しかし試合は残念ながら、横浜DeNAベイスターズのロメロ投手の前に、散発3安打の完封負け。
12球団屈指の「ピッチャーズ・パーク」と名高い、このバンテリンドームナゴヤではあるが、それにしても打てなさ過ぎた。
積年の課題である得点力不足を、また嘆く日になってしまった。
しかし、岡林勇希外野手、石川昂弥内野手、根尾昂外野手と、若い選手がスタメンに名を連ねてくれた。
若い力を、応援したい。
2022年のバンテリンドームナゴヤ、その開幕戦を飾ることは、できなかった。
入場制限のなくなったこの球場での初勝利を、見届けたかった。
無念、である。
しかし、ファンにできるのは、応援し続けることだけだ。
勝って諸手を上げて喜び、負けて地団駄を踏み。
明日の試合を、選手の活躍を、願うことしかできない。
あの、小さな私を魅了した、2番・遊撃手・立浪選手。
そのスターが、帰ってきたんだ。
その立浪新監督の、笑顔を見たい。
だから、応援するんだ。
試合終了後、人がまばらになっても、名残惜しくて身体を席にうずめていた。
ナゴヤ球場のわたしも、そうだった。
勝っても、負けても。
その雰囲気から離れるのが、心惜しくて。
早く帰ろうとする父の手を、引いた。
寂しさと、名残惜しさ。
幼いころからそれは、私の人生のキーストーンのようだ。
「そろそろ帰ろうか」
ふと。
声をかけられた気がして、ようやく私は重い腰を上げた。
今日一日の興奮からか、身体が重い。
ドラゴンズが勝っていれば、そうでもなかったのだろうか。
あのとき、もう一本が出ていれば。
あと一人、抑えていれば。
負けた帰り道は、いつだって恨み節とタラレバで埋め尽くされる。
だから、勝った日は、うれしいんだ。
夜の闇に浮かぶ、ドームの光。
あのナゴヤ球場に通っていたころの、小さな私も。
まだ煌々と明るい球場に、いつも後ろ髪を引かれるようにして、駅までの道を歩いたものだった。
一歩、また一歩と、ドームの光が遠ざかっていく。
人の波が、地下鉄の駅と、交差点に流れていく。
名残惜しくて、もう一度振り返った。
バイバイ、バンテリンドーム。
バイバイ、ドラゴンズ。また来るよ。