「もし自分がその立場だったら、どう感じるだろう」
そのように想像してみることは、私たちと相手との間に、確かなつながりをつくることができます。
1.自分を愛することの恩恵
昨日の記事では、自分を愛すること、受け入れることの恩恵についてお伝えしました。
自分を愛することは、相手を理解するという恩恵をもたらしてくれる。 - 大嵜直人のブログ
「自分を愛する」とは、自分の綺麗な部分だけを愛することではありません。
自分のなかには、実にさまざまな自分がいるものです。
情に厚く、涙もろい自分。
ずる賢い自分。
誰かのために、全力を尽くせる自分。
嫉妬深くい自分。
そのどれか一つがほんとうの自分というわけでもなく、そのどれもが、大切な自分自身です。
「それも、わたしだよね」
そのように自分を愛し、受け入れ、許すことは、私たちを自己否定の沼から救ってくれます。
それは、生きづらさが解消し、深い安心感を感じることができるようになります。
そして、自分を愛した分だけ、私たちは相手を理解し、受け入れることができるようになります。
自分を愛することには、かくも大きな恩恵があるというのが、昨日テーマでした。
2.相手を理解するとは
さて、今日はその「相手を理解する」ことについて、もう少し考えてみたいと思います。
もちろん、自分以外の他人を完全に理解できるのか?というのは、とても難しい問いです。
そもそも自分以外の他人を理解することなんてできない、と見ることもできますし、
心の深い無意識の部分では、誰もがつながっていると見ることもできるのでしょう。
そのどちらが正しいかは、ここでは置いておきます。
それよりも、「理解しようとできる」というのが、今日のポイントだと思います。
あなたのことを、もっと知りたい。
もっと、理解したい。
そうやって、相手との間に、つながりをかけようとできるのは、人の美しさであり、素晴らしさだと思うのです。
しかし、いつもそのようにできるかといえば、決してそうではありません。
やはり、自分の内面に余裕がなかったりすると、相手のことを推し量るというのは、難しいものです。
相手との関係性から受けとる、自分の感情。
それが溜まっていたり、あるいは抑圧されていたりすると、私たちの心のエネルギーは自分の内側を向いて、内にこもってしまいます。
その処理できていない感情を抑え込むのに、精一杯になってしまうわけです。
だから、「相手を理解するためには、まずは自分」が、大前提として必要になります。
まずは、自分の感じていることを丁寧に扱い、解放してあげる。
言い換えると、自分を愛すること。
それが、相手を理解するための、はじめの一歩です。
3.もし自分だったら、どう感じるだろう
自分の感情を感じ、解放することができると、ようやく相手に目を向けることができるようになります。
それは、起こっているできごとや、相手の言動を、一歩引いた状態で見る、ということといえます。
相手が、暴言を吐いたり、悪態をついていたとして。
その事象を外して、考えることができるわけです。
「あの人が、こんな態度を取るのは、なぜだろう」
「それくらい、しんどいのかもしれない」
「もしかしたら、悪い態度を取ることで、助けを求めているのかもしれない」
もちろん、そうした想像や仮定が正しいかどうかは、分かりません。
それは相手にしか分かりませんし、相手自身もまた、分かっていない可能性だってあります。
けれども、想像することはできるわけです。
「もし自分が相手の立場や状況だったら、どう感じるだろう」
「仮に自分が同じ立場だったら、同じことをしたかもしれない」
そうした想像をしてみることは、私たちに違う世界を教えてくれます。
もちろん、それだからといって、暴言を吐いいいわけでもないし、悪態をついていいわけでもありません。
けれども、「そうするほか、なかった」のかもしれない、と感じることはできます。
こうした見方を、「感情的理解」と呼んだりします。
この「感情的理解」が、相手を理解する上では、とても大切な一つの形です。
ただ繰り返しになりますが、これは自分の感情を感じ尽くして、自分のなかに余裕がないと、できません。
自分の感情に振り回されて、それで手一杯になってしまうからです。
しかし、自分に余裕をつくり、相手を感情面から寄り添うことができたとき。
私たちは、相手との間に架け橋をかけることができるのです。
今日は、相手を理解することとは、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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