日々、人のこころは揺れ動きます。
凪の日もあれば、白波が立つ日もあれば、荒れ狂う日もあります。
その海の上で、漂っているのが、私たちのこころのように見えます。
それは、小さな木の葉のようにも見えます。
どんな波風が立ったとしても。
海面に見える木の葉は、沈むことはありません。
その波を受けて、揺れることがあったとしても。
ゆらり、ゆらりと浮かび、舞い、揺蕩いながら、海面の上で、空を見上げています。
木の葉が変わったのではなく、その周りが変わっただけ。
あまりに揺れ幅が大きいと、木の葉自体が変わってしまったようにも見えるけれども。
木の葉は、何も変わっていないようです。
それを映すものが、変わっただけ。
そうだとしても。
凪に浮かぶ木の葉と、嵐の大波に舞う木の葉とは、やはり違ったりもします。
周りが凪いでいるのか。
それとも、嵐のなかにいるのか。
木の葉は同じでいて、同じでない、ともいえます。
こころ揺れるとき。
それは、新しい自分に出会うときなのかもしれません。
いままで気にも留めていなかったことが、気になったり。
いつも見えていなかったものが、見えたり。
周りの海が、荒れ狂って見えたとしても。
こころが揺れるときは、新しい自分に出会うとき。
いままでの自分も、新しい自分も。
どちらの自分も、同じ自分。
凪に浮かぶのか、嵐に舞うのか。
どちらの自分も、同じ自分。
ただ、出会うだけ。
ただ、出会い直すだけ。