1.一瞬のできごと、使用不能になったキーボード
それは、一瞬のできごとでした。
コーヒーカップを持った右手が、なぜか震えてしまい、入っていたコーヒーがこぼれてしまったのです。
間の悪いことに、ノートパソコンのキーボードの真上で。
「あっ」と思った瞬間に、ミルクたっぷりの茶色の滴が、スローモーションのようにいくつも宙を舞うのが見えました。
やっぱり、こういうときって、時間が止まったように感じるんですね笑
「パシャ」っとキーボードにこぼれたコーヒーは、まるで模様を描いたように見えました。
変な声が出ると同時に、急いで電源を切り、コーヒーを拭きとってパソコンを逆さにして、内部にコーヒーが入らないようにしてみました。
「やってしまった…大丈夫だろうか…」
そう思いながら、しばらくして電源を入れてみたのですが、キーボードを押すと変な音がして、入力ができません。
おかげでログインすることもできず、仕方なく電源を落としました。
なんでしょうね、この電子機器を壊してしまったときの感じって…
なんか、他のものを壊してしまったときとは違った絶望感があるのは、私だけでしょうか。
昔、ガラケーの時代に、酔っぱらってジョッキを倒して、携帯にしこたまビールを飲ませてしまい、再起不能になったことを思い出しました笑
「ドライヤーで乾かしたら、電源が生き返った」という都市伝説を信じて、一生懸命ドライヤーを当てていたことを思い出します。
後から、「絶対にやってはいけないこと」と知ったのですが笑
2.なくなって知る、在ることのありがたみ
それはさておき、ノートバソコンが使えなくなるのは、なかなかに不便なものです。
ちょうどその事件が起こったときも、ブログを書いていたのですが、やはり文章を書くのは、キーボードの方が都合がいいようです。
いまは、たいがいのことはスマートフォンでできると思うのですが、「キーボードでの入力」は、スマホでできないことの一つのようです。
もちろん、フリック入力で問題ない人もいるでしょうし、最近は予測変換がめちゃくちゃ優秀になっているので、スマホで入力した方が早いこともあるのでしょう。
あとは、音声入力をしている人にとっては、影響ないのかもしれません。
けれども、私の場合は、どうもキーボードでの入力の方が、書きやすいのです。
なんででしょうね?
慣れの問題なのか、なんなのか…
とはいえ、いつも使えていたものが、急に使えなくなると、不便なものです。
月並みですが、なくなって、はじめて「在る」ことのありがたみが感じられるというか、そんな感じがするものです。
当面は、スマホで文章を書いたりすればいいのですが、やはり調子が出ないというか、なんというか。
3.絶望からの、希望
そんなこんなで、このコーヒー漬けになってしまったノートパソコンを修理したいのですが、あいにく私にはどうやったら直せるのか、分かりません。
メーカー修理に出せばいいのですが、水没だとかなり納期と金額がかかると聞きます。
藁をもすがる思いで、近くのパソコン修理ができるお店で見てもらったのですが、「水没は修理できない、メーカーに依頼することになる」とのこと。
まあ、それなら自分でメーカーに依頼した方が早いし確実なのでと、診断料だけお支払いして断念。
ちなみに、そこでも言われたのは、「水没を直すのは高額になる、新しいのを買った方が安いことも多い」とのこと。
絶望。
たしかに、それくらい費用がかかるなら、新しいのを買った方がいいのでしょうけれども、このノートパソコンへの愛着、というのもあるのです。
このパソコンで書いてきた文章や受けてきた講座、ご提供させていただいてきたカウンセリングの時間など…
なんだか、簡単に「じゃあ新しいのを」と思えないんですよね。
もちろん、金銭的な部分も大きいのですが笑
どうにかならないかなと思い、いろいろ調べていると、秋葉原に私のノートパソコンのブランドを扱っている専門店があるとのこと。
二度目の藁をもすがる思いで電話すると、「とりあえず送ってください」とのこと。
急いで梱包して送ると、到着した日の夕方には電話があり、「キーボードの交換だけで直りそうですが、どうしますか?」とのこと。
「ぜひ、お願いします」と即答。
費用の方も、キーボードの部品代+作業費・発送費用で、想像していた金額よりも全然安いものでした。
まさに、地獄で見た仏。
4.自分にできないことは、誰かに感謝するチャンス
おかげさまで、思い入れのあるパソコンが、復活して帰ってきました。
このブログをキーボードで書きながら、やっぱりキーボードで書くのはいいなぁと感じております。
一連のできごとの中で感じたのは、「修理できる方がいてくださって、ありがたいことだなぁ」ということでした。
私は、自分でパソコンを組んだりできませんし、故障したとしても直せません。
けれども、そうした自分にできないことがあるからこそ、それができる人に感謝できるともいえます。
自分にできないことに出会ったときは、誰かに感謝するチャンスと言えるのかもしれません。
だから、先日も書いたのですが、「あきらめる」ことは、誰かとともに生きるための要素という、とてもポジティブな意味合いがあるのでしょう。
ただ、「できるようにならないといけない」と思っていることだと、それは難しいのですけれどね。
それはさておき、あたらめて修理をしてくださった方に感謝して、文章を書いていきたいと思います。
そして、パソコンを使うときは、飲み物に気を付けます笑