大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「無害者」の視点に立つには、自分が我慢することではなくて、自分の心に余裕を持たせること。

「加害者」でも「被害者」でもない、「無害者」の立場。

その立場に立つためには、自分が我慢することではなくて、その逆に自分の心に余裕を持たせることが必要です。

1.「無害者」の立場

先日の記事では、「無害者」の立場をテーマにしてお伝えしました。

誰かのせいにも、自分のせいにもしない、「無害者」という視点。 - 大嵜直人のブログ

「無害者」とは、「被害者」でも「加害者」でもない立場を指します。

誰のせいにもせずに、起きていることをそのままに引き受ける姿勢です。

私たちは、誰かとの関係性がうまくいかないと、「被害者」か「加害者」のどちらかの立場になってしまうことが多いものです。

「被害者」は、「あなたのせいで、私はこんなひどい目にあった」という感情を抱きます。

その「あなた」とは、相手や社会や組織、お金といったものが当てはまるのでしょう。

自分がひどい目に遭っているのは、自分以外の誰かや何かのせいで、自分にはどうしようもないという無力感に苛まれます。

その反対に「加害者」は、自分のせいで、相手に悪いことをしたという罪悪感をたんまりと抱きます。

罪悪感を抱いた人は、「ひきこもる」か「攻撃する」かのいずれかの反応になります。

ひたすら引きこもって自分を責めるか、もしくは、逆ギレしてように相手を攻撃するかの、いずれかです。

「そもそもの原因は、そっちにあるんじゃないか」といった具合に。

そして、「あなたのせいだ」と「被害者」が相手を責めるようになると、今度は「被害者」と「加害者」の立場が逆転します。

そのようにして、「被害者」と「加害者」は立場を入れ替えながら、心理的に離れられなくなってしまうことが多いものです。

昨日のテーマである「無害者」は、そうした負のスパイラルから抜け出るためのヒントでした。

「わたしも悪くないし、あの人も悪くない」

「誰も悪くない」

「ただ、そうせざるを得なかっただけ」

起こったできごとを、そのような視点で見ていくことで、「被害者」にも「加害者」にもならない場所に立つことができるようになります。

2.自分が我慢することではない

この「無害者」の見方で注意したいのは、決して自分が我慢することではない、という点です。

言い換えるならば、自分の感情を無視したり、置き去りにしたりしないことがポイントでしょうか。

たとえば、パートナーから別れを切り出されたとして、どうしても切り出された側は「被害者」の立場に陥りやすいものです。

「こんなに尽くしてきたのに、あの人はひどい人だ」、と。

ここで、「でも、わたしも悪くない、あの人も悪くない」という視点を取らないといけないと考えると、自分の感情が置き去りになってしまいます。

まずは、自分が感じていることを、まずは大切にすることが必要です。

「あんな風に別れを告げられて、悲しいな」

「もう一緒にいられないと思うと、寂しいな」

「あの人にものすごく怒りを感じる」

そうした自分の感情を無視したり、抑え込んだりして、「無害者にならなくては」と思わなくていいんです。

「無害者」とは、そうした我慢をした先にあるものではありません。

その逆で、そうした感情をまずは感じつくすこと、安全な場所で吐き出すことが、「無害者」の立場へとつながっていくのでしょう。

3.心に余裕ができると、「感情的理解」が進む

感情を抑え込んだり、無視したりしたままだと、心はその感情を抑え込むのに精いっぱいで、何の余裕もない状態になります。

「悲しい…けれど、そう感じたらいけない」、といった感じでしょうか。

その状態で、「無害者になりましょう」とか考えても、心がついてこないんですよね。

だから、まずは感じていることを、安全な場所で話したりして吐き出すことで、消化していくことがとても大切なことになります。

「話すは放す、離す」と言われたりもしますよね。

そうしていくと、心に余裕ができてきます。

そこで、はじめて「わたしもあの人も、悪くない」という「無害者」の立場を、受け入れることができるようになるわけです。

ここでカギになるのが、「もし自分が相手の立場だったら」という視点です。

自分の感情に振り回されている状態だと、この視点を持つことはとても難しいものです。

「そんなことより、この悲しみをどうしてくれるの!」とばかりに。

けれど、自分の感情を解放していくと、相手の立場を推し量ったり、相手の心情を想像したりすることができるようになります。

もし自分がその立場だったら、という仮定と想像ですね。

それをできごとから見るのではなく、その相手の感情や心情から見て、理解をしようとする姿勢です。

これを「感情的理解」と呼んだりもしますが、この見方は非常に「無害者」の視点に近いものです。

「もし私があの人の状況になったら、私も同じことをしたかもしれないな」という見方です。

それができるのも、心に余裕があってこそです。

「無害者」の立場に立つために必要なのは、自分が我慢することではなくて、まずは自分の感情を解放して、心に余裕を持たせることです。

今日は、「無害者」の視点に立つには、自分の心に余裕を持たせること、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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