暦の上では秋になりましたが、相変わらず暑い日が続いていますね。
日中の屋外は、あまりの暑さに身の危険を感じるようなことがあります。
私の小学生くらいのころ、一人でタモを手に、近所の公園で虫を追いかけまわしていたのですが、その頃の暑さとはずいぶんと違っているように思います。
気候が、変わってきているのでしょうか。
さて、そんな夏の最中に、ウォーキングを始めてみたのですが、これがいろいろと楽しいので、今日はそんな肩肘張らないお話です。
きっかけは、やはり運動不足の解消だったでしょうか。
負荷の高い運動を単発的にするよりも、続けられることを…と考えたときに、ウォーキングがやりやすいかな、と思ったわけです。
最近は24時間オープンのジムなんかも増えてきましたが、やっぱりそこに行くだけでも、ハードルが一つ高くなるものです。
あとは、時々やっているストレッチも気持ちいのですが、運動不足の解消とまではいかないものです。
そう考えると、一人でどこでもできるランニングやウォーキングは、続けるためにはとても向いているように思います。
以前によく走っていましたが、やはり足腰に負荷がかかるのと、毎日走るとなると、結構ハードルが高いものです。
かといって、何日かに一回走る、といった頻度だと、なかなか習慣づけるのは難しい。
その点、ウォーキングはそれよりもハードルが低いので、やってみようとなったわけです。
完璧主義の私のことですから、はじめたときは、「歩くだけで変わるのか?やっぱり、それよりも走った方がいいんじゃないか?」と思ったりもしました。
しかし、これがそうでもなくて。
歩き始めると、10分くらいすると、身体が温まって、じんわりと汗が吹き出てきます。
これが、とても心地よくて。
いまの時期ですから、朝か陽が落ちてからの時間にしか歩いていませんが、それでも心地よいものです。
歩いていると、頭もスッキリして、何かを整えてくれるようです。
もちろん、身体を動かすこと全般が、そうなのでしょうけれども。
不思議なものですよね。
なぜ、我々の祖先は、二本の脚で歩こうと思ったのでしょう。
それまで、木の上で生活していたのが、地に降り立って、二本の脚で歩く。
歩いていると、そんな我々の祖先のことを思い浮かべたりもします。
本当に、歩くというのは不思議な行為です。
これ、たとえば何か目的地があって、そこまでの「手段」として歩くのとでは、違うように感じます。
駅に行くために歩く、会社に行くために歩く。
そうした「手段」ではなく、ただ歩くことを「目的」にする。
それは、いつもの「手段」として歩くこととは、別のもののようです。
歩いていること自体は同じなのに、不思議ですよね。
歩くこと自体が、「目的」。
そうしていると、季節の移ろいや、気づかなかった日常の細部が、彩りを見せてくれるようです。
「手段」として歩いているときには、目に入らない景色が、見えてくるようです。
これから、少しずつ涼しくなっていき、歩いていて気持ちのいい季節になっていくのでしょう。
歩くことも、少しずつ続けていこうと思うのです。