大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「手段」ではなく、「目的」として歩くことについて。

暦の上では秋になりましたが、相変わらず暑い日が続いていますね。

日中の屋外は、あまりの暑さに身の危険を感じるようなことがあります。

私の小学生くらいのころ、一人でタモを手に、近所の公園で虫を追いかけまわしていたのですが、その頃の暑さとはずいぶんと違っているように思います。

気候が、変わってきているのでしょうか。

さて、そんな夏の最中に、ウォーキングを始めてみたのですが、これがいろいろと楽しいので、今日はそんな肩肘張らないお話です。

 

きっかけは、やはり運動不足の解消だったでしょうか。

負荷の高い運動を単発的にするよりも、続けられることを…と考えたときに、ウォーキングがやりやすいかな、と思ったわけです。

最近は24時間オープンのジムなんかも増えてきましたが、やっぱりそこに行くだけでも、ハードルが一つ高くなるものです。

あとは、時々やっているストレッチも気持ちいのですが、運動不足の解消とまではいかないものです。

そう考えると、一人でどこでもできるランニングやウォーキングは、続けるためにはとても向いているように思います。

以前によく走っていましたが、やはり足腰に負荷がかかるのと、毎日走るとなると、結構ハードルが高いものです。

かといって、何日かに一回走る、といった頻度だと、なかなか習慣づけるのは難しい。

その点、ウォーキングはそれよりもハードルが低いので、やってみようとなったわけです。

 

完璧主義の私のことですから、はじめたときは、「歩くだけで変わるのか?やっぱり、それよりも走った方がいいんじゃないか?」と思ったりもしました。

しかし、これがそうでもなくて。

歩き始めると、10分くらいすると、身体が温まって、じんわりと汗が吹き出てきます。

これが、とても心地よくて。

いまの時期ですから、朝か陽が落ちてからの時間にしか歩いていませんが、それでも心地よいものです。

 

歩いていると、頭もスッキリして、何かを整えてくれるようです。

もちろん、身体を動かすこと全般が、そうなのでしょうけれども。

不思議なものですよね。

なぜ、我々の祖先は、二本の脚で歩こうと思ったのでしょう。

それまで、木の上で生活していたのが、地に降り立って、二本の脚で歩く。

歩いていると、そんな我々の祖先のことを思い浮かべたりもします。

 

本当に、歩くというのは不思議な行為です。

これ、たとえば何か目的地があって、そこまでの「手段」として歩くのとでは、違うように感じます。

駅に行くために歩く、会社に行くために歩く。

そうした「手段」ではなく、ただ歩くことを「目的」にする。

それは、いつもの「手段」として歩くこととは、別のもののようです。

歩いていること自体は同じなのに、不思議ですよね。

歩くこと自体が、「目的」。

そうしていると、季節の移ろいや、気づかなかった日常の細部が、彩りを見せてくれるようです。

「手段」として歩いているときには、目に入らない景色が、見えてくるようです。

これから、少しずつ涼しくなっていき、歩いていて気持ちのいい季節になっていくのでしょう。

歩くことも、少しずつ続けていこうと思うのです。