今日は、何のこともないお散歩ブログです。
何かの役に立つとかはないんですが、こういう何でもない表現をする日も、私にとっては必要なようです。
この週末は、寒波がやってきたようでした。
時候は「小雪」、雪が降り始める時候ですから、そんな時期なのかもしれません。
ただ、身構えていたほどに寒くは感じず、冬本番はまだまだこれからだな、という感じでした。
昼間に外を歩いていると感じる陽気も、寒いというよりは心地よいくらいでした。
何かの本で、「統計的に、人間が一番心地よさを感じるのは、25℃くらいの気温で、海を眺めながら語らっているときである」というのを見たことがあります。
さもありなん、とは感じるものです。
気温、というのは、やはり人の情感に訴えかける要素が、大きいように思います。
寒いと、どうしても視線が下を向き、それにともなって思考もネガティブになりがちで、気温が高いと、空を見上げてポジティブになる気がします。
しかし、だからといって寒いことが悪いわけでもなく、凍てつく寒さの外気であればこそ、鍋物をつつく愉しみがあるのでしょう。
凍えるような寒さゆえに、春の芽吹きを見つけたときの喜びは、格別なものなのでしょう。
幸せとは、総量ではなくて、達成度によって感じられるとは、よく聞く話です。
それはともかくとして、寒いからどうこう、暑いから云々というわけではなく、ただその気温に私たちの情感が左右されることは、一つの真実としてあるように思います。
この日の気温は、15℃。
統計とは、少し違いますが、それでも日なたを歩いていると、心地よいものです。
頭上から注がれる、陽の光。
この頬に感じる、秋の風。
そして、植物の色たち。
そうしたものを眺め、感じていると、それだけで満たされていくものがあります。
人には、必要なのでしょうね。
光と、風と、色が。
相変わらず、ウォーキングとストレッチを続けておりますが、やはり身体を動かすというのは、いいものです。
ハードワークの癖が抜けない私は、どうしても「身体を動かす=疲れるまでやらないとダメ」というように考えてしまうんですが笑、30分程度のウォーキングでも、全然身体の具合は変わるというのは、大きな発見でした。
少し速足で歩いていると、呼吸が徐々に深くなってきます。
息を深く吸って、吐く。
それだけで、実に満たされるものです。
それは、いまこの瞬間に、意識を戻してくれるからでしょうか。
思い悩むことや、後悔や、何かを案じているとき、私たちの心は、どこか遠いところに飛んで行ってしまいます。
それは、いまではない、どこか遠いところへ。
けれども、息を吸い、吐いている。
それをしている瞬間は、何も起こっていないんですよね。
究極的には、自分の息が止まる瞬間まで、そうなのかもしれません。
私は息を吸い、吐いている。
それだけで、満たされるものがあります。
そして、その深く呼吸をするためには、やはり必要なように感じるのです。
光と、風と、色とが。
そんなことを、感じさせてくれる晩秋の日でした。
あなたの周りも、秋は終わりがけでしょうか。
それとも、もう冬を感じる日が始まっているでしょうか。
あなたの周りの光と、風と、色が。
今日もまた、やさしいものでありますよう。