大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

立秋の訪れは、どこか特別な調べとともに。

今日は、「立秋」。

暦の上では秋になりました。

不思議なもので、昨日の夜中にざっと雨が降りまして、朝の空気も少し涼しげに感じられます。

七十二侯では「涼風至(すずかぜいたる)」、真夏の暑い日差しのなかに、秋の気配を感じる風が吹く時候です。

これからお盆を過ぎると、夏の終わりを感じることも増えていくのでしょう。

 

日本には四つの季節があり、それぞれの季節の境目があります。

立春、立夏、立秋、立冬。

季節のまっただ中のような時期に訪れる、その区切りは、実に示唆的です。

「永遠に続くものなどなにもない」ともいえるし、

「大切なことは、目に見えないところで移り変わっていく」ともいえるのでしょう。

ただ、その四つの区切りのなかで、「立秋」だけがどこか特別な調べを持つように、私には感じられるのです。

厳しい寒さのなかに、春の訪れを喜ぶ立春。

日増しに高くなる気温に、夏の生命力があふれる立夏。

秋の色彩が、やがて静かになっていく立冬。

どの区切りにも、いろんな情感があるものです。

ただ、私にとっては立秋が、最も季節の移ろいのなかで、感じることの多い区切りのように思うのです。

 

祭りのあと。

余韻と、あと片づけ。

旅路の終わりと、別れ。

熱情の行くすえ。

夕暮れから黄昏。

枯れゆく草木。

 

もちろん区切りというのも、人が勝手に決めているだけで。

立秋の日自体は、何のこともない、いつもと変わらない一日なのかもしれないのですが。

それでも、この夏から秋へと移り変わるこの一日は、どこか特別な調べを持つ日なのです。