大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

故郷の桜の色に、思い出を重ねること。

いつもこの時期に行く、墓参り。

なんだかこの日は、いつもと違う道を通って行きたいと思ったのです。

市内の道には、ところどころにピンク色のカラーコーンが重ねてありました。

この時期は、ちょうど「名古屋ウィメンズマラソン」の時期に重なるのです。

交通規制が入るので、その日を避けていたのですが、今年はちょうどその当日にあたってしまいました。

9時くらいから規制が入るそうで、帰りはおそらく迂回路を通らないと渋滞しそうだな、と思いながら車を走らせます。

いつもの道と一本違うだけで、見える景色は違って、まるで異邦人のような感覚になりました。

ここがどのあたりなのか、よく分からないまま、車を進める。

そんな時間があっても、いいのでしょう。

先日、久しぶりにCDを買いました。

けれど、なかなかそれをゆっくりと聴けずにいたので、その音楽を流しながら。

サブスク、Youtubeで音楽を流すことが当たり前になって、CDを聴くという習慣が薄れてしまいました。

CDをゆっくりと聴けるのが、この車の中のような気がします。

車の運転、というのは不思議なもので。

当然、気を張ったりして、いろんなストレスがかかってはいるのでしょうけれども、一人で考えをまとめるのに、大切な時間のような気がします。

そう感じるのは、私が一人の時間がないとダメなタイプだからなのでしょうか。

寂しがりではあるのですが、一人の時間も必要。

人の心は、天邪鬼なものです。

久しぶりに訪れた故郷は、そこにあった建物がなくなっていたり、そのまま変わらず残っていたり。

どこか、記憶と現実とが、グラデーションになっているようでした。

車を停めた公園では、桜が咲いていました。

ソメイヨシノとは違う品種でしょうか。

少し濃い色をしている気がします。

公園も、改修工事が行われていて、スターバックスが入るようになったり、ずいぶんと変わりつつありました。

幼いころ、たくさん遊んでもらった、コンクリート打ちっぱなしの遊具はもうなく。

新しい遊具で、小さな子どもが遊んでいました。

幼いころ、何度も歩いた川沿いの土手は、きれいに舗装されていました。

その道を、犬を連れた年配の男性が、歩いていました。

その川面を、しばらく眺めていました。

咲いていた桜は、いまが盛りのようで。

一面に、その少し濃いトーンのピンクが、咲き誇っていました。

墓地には誰もおらず、鳥の声だけが響いていました。

手桶に水を汲んで、墓石を磨いて。

墓石に刻まれた年月を見て、ずいぶんと長い年月が流れたのだと思い。

買ってきた花を挿して。

ロウソクを立てたまではよかったのですが、持参したお墓参りのセットに、線香がないことに気づいて、苦笑しました。

まあ、それも私らしいのでしょう。

しばし、手を合わせて瞑目していました。

今日ここに来れたことの、報告を。

なんとなく、泣きたいと感じたのですが。

悲しいというわけでもなく、その感じはどこかに霧散していきました。

そのかわりに、帰りの道は渋滞するのかな、という思いが、浮かんでは消えていきました。

もう一度、あの桜を見てから帰ろう。

そんなことを、私は墓前に思うのでした。