大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「許し」の意味。 ~他人からされて嫌なことを、自分がしてしまったときの処方箋

他人からされて嫌なことは、それを自分自身がすることを強く禁じているものです。

しかし、時にそうしたことを自分がしてしまうこともあります。

そんなときに大切な「許し」の考え方について、ご紹介します。

1.他人からされて嫌なことは、自分に禁じているもの

関係性が近くなるほどに、敏感になる「イヤなことセンサー」

人からされて嫌なこと、ありますでしょうか。

連絡の返事やレスポンスが遅い、あるいは既読無視。

分かっているのに、何度も念押しされる。

脱いだ服を洗濯機に入れず、そのまま放置される。

約束の時間に遅刻してくる。

…などなど、いろんなことがあると思います。

誰にだって、ありますよね。私も、もちろんあります笑

そうしたことは、その人との関係性が近づくほどに、色濃くなっていくものです。

仕事のたくさんの取引先のなかの一人が、遅刻してきても、そんなに気にならないかもしれません。

けれども、これがデートでパートナーにされると、すごくイヤと感じる人は多いかもしれません。

友だち、パートナー、あるいは家族や親など、関係性が近くなるほどに、そうした私たちの「イヤなこと」センサーは敏感になるようです。

そのセンサーは「自分が禁じている言動リスト」と関係している

さて、そのセンサーは、何を感じ取っているのかを考えてみると、面白いことが見えてきます。

もちろん、「それをされたらイヤ」と感じることをピピピっと受信しているとは思います。

「それをされたらイヤ」と感じるもの。

その裏側にあるのは、「それを自分がするのは絶対にイヤ」という想いです。

言い換えると、「自分に禁じている言動リスト」が、そのセンサーのもとになっているといえます。

既読無視をされるのがイヤな人は、自分が既読無視をすることを強く禁じています。

遅刻されるのがイヤな人は、自分が遅刻することを許せないわけです。

何度も確認されるのがイヤな人は、自分が誰かを信頼できないことに嫌悪感を覚えたりするわけです。

つまり、「他人からされて嫌なこと」とは、「自分に対して禁じていること」と見ることもできるわけです。

心理学的に見れば、「投影」という心理ともいえます。

自分に対して自分が禁じていることを、周りの世界に映し出すわけです。

2.成長すると、それを「しなくなる」わけではない

怖れと罪悪感が、自分を窮屈にする

さて、ここで私たちは、その「他人からされて嫌なこと」を、自分自身がしてしまうことを、強く怖れます。

そりゃあ、そうですよね。

「絶対にあかんで!」と言っている人が、自らそれをやっていたら、示しがつなかくなてしまうわけですから。

自分自身がそんなことをしないように、強く自分を縛り付けるわけです。

これは、まじめな人、誠実な人、筋を通したい人ほど、そうした傾向が強くなります。

そして、もしそれをしてしまったとしたら、とても強い罪悪感を抱きます。

「いままで、『それだけはダメ』って言ってきたのに、私は何をしてるんだろう…」

そんな風に落ち込み、自分を責めてしまうことは、容易に想像できるのではないでしょうか。

しかし、誰にだって、その「自分がされて嫌なこと」を、自分がしてしまうことはありますよね。

そうした意味では、「他人からされて嫌なこと」=「自分に禁じていること」がたくさんあるほどに、自分が窮屈になり、それに縛り付けられてしまうことになるわけです。

「それをしない自分になる」ことは、本当の解決だろうか?

自分に禁じている行動をしてしまう「怖れ」と、それをしてしまったときの「罪悪感」。

それは強烈だから、私たちはそこからできるだけ逃れようとします。

はい、「怖れ」も「罪悪感」も、気持ちのいいものではありませんから笑

そうしたときに、私たちがまず向かおうとするのが、この方向です。

「絶対に、そうしたことをしない自分になろう」

他人からされて嫌なことを、絶対にやらない自分になれば、問題は解決する。

そんな風に考えて、自分のなかの禁止事項を、ますます強める方に向けてしまうわけです。

自分が成長したら、そんなことをしない自分になれる。

心理学を学んだら、それをしない自分になれる。

そんな風に、考えることも多いものです。

はい、私もそんな風に考えていた時代がありました笑

けれども、絶対に遅刻しない人がいないように、その方向性は、どんどん自分を縛る方にしかいかないわけです。

それは、しんどいですよね。

「他人からされて嫌なことを、絶対にしない自分になる」

それは、一見解決策に見えますが、決してそうではありません。

ますます、私たちを窮屈にしてしまう方向性ともいえます。

3.「許し」の意味と、その可能性

「許し」とは相手のためにするものではない

では、どんな方向性で考えたらいいのか。

そこでカギになるのが、「許し」の概念です。

「投影」と並んで、心理学における重要な概念のツートップです笑

一般的な日本語の語義だと、「許し」とは、悪いことをした人を許すという、どこか「相手のために情けをかけてあげる」というニュアンスを含みます。

しかし、心理学における「許し」は、そうではありません。

心理学にける「許し」とは、相手のためにするものではなく、自分自身の生を肯定的に生きるためにするものです。

誰にでも、遅刻をしてしまうことがあると、先ほど書きました。

電車が事故で遅れたりすることもあるでしょう。

寝坊することだってあるでしょう。

けれども、その寝坊にしたって、前日に家族が急病になって、寝ずに看病していたからかもしれません。

「許し」とは、そうした相手の事情や心情を、感情的に理解することといえます。

「どうして、この人はこんな行動をしたのだろう」

そこに視線を向け続けることが、「許し」における大切な視点です。

「あぁ、こんな風に思っていたのかもしれないな」

そう思えることができたら、見えてくる世界が少し違ってきます。

少し順番が前後してしまいましたが、その視点に至るためには、自分自身の感情をきちんと感じ尽くして、解放しておく必要があります。

「なんでこんなことするんだよ!」

というように、怒った状態では、なかなか相手の事情や心情を推し量ることができないものです。

だから、「許し」にしても、まずは自分自身のケアからはじまります。

自分が何を感じているのか。

何をイヤと感じているのか。

何を、感じたくなくてガマンしているのか。

そこと、向き合う必要があります。

しかし言い換えると、それをし続けることで、相手の心情にも目を向けることができるようになります。

はい、これもまた「投影」の心理ですね。

「許し」が進むことは、自分自身を解放すること

そのようにして、「許し」が進むと、自分自身にとても大きな恩が降り注ぐことになります。

相手のことを許せるようになると、どうなると思いますか?

そうです、それを自分自身に「投影」するわけです。

「それをしてしまう自分自身」を許せるようになるわけです。

もちろん、されてイヤなことを、積極的にする、というわけではありません。

それでは、単なるイヤなヤツになってしまいますから笑

そうではなくて、

「誰しも、してはいけないことをしてしまうこともある。それもまた、人だからしょうがないよね」

と思えたり、あるいは

「自分には理解できないけど、それをしても平気な人もいるのかもしれないな。もしかしたら、気づいていないだけで、自分にもそういうところがあるのかもしれないな」

と思えたりするわけです。

「許し」が進むことは、いままで自分自身を縛っていた鎖を取り払い、自分自身を解放していくことともいえます。

もちろん、許しはいきなり100%の至ることは難しいものです。

そして、昨日は60%くらい許せていたけれど、今日は45%くらいになっちゃった、というように、感情とともに揺れ動いたりもするものです。

けれども、「許し」の道にいさえすれば、少しずつ、少しずつでも自分を解放して、自分自身の生を肯定することができるようになることは、間違いありません、

他人からされてイヤなことを、自分自身がしてしまったとき。

あるいは、自分がしてしまうことが怖いと感じるとき。

そんなときは、自分自身を縛り付けていたものを解放するチャンスと見ることもできるのでしょう。

そのときにカギになるのが、「許し」といえます。

今日は、そんな「投影」と「許し」についてのお話でした。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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