「自立」に至るとき、私たちは一人でがんばってきた、と考えてしまうものです。
けれども、ほんとうに一人だけで歩いてきたのでしょうか。
1.「問題」を自分のものとして引き受けること
昨日の記事では、「問題」を自分のものとして引き受けること、というテーマでお伝えしました。
「それはわたしの問題だ」と受け入れることができたとき、見える風景が変わる。 - 大嵜直人のブログ
「問題」が起きると、どうしても私たちは依存的になってしまいがちです。
「どうしたらいいんだろう」とか、
「誰かなんとかしてほしい」といった具合に。
これ、私たちが見慣れたできごとでは、そうはならないんですよね。
いつも肩凝りに悩まされている人は、その対処方法をある程度知っているはずです。
たとえばパートナーが浮気性だと分かっている人は、パートナーがおイタをしたとしても「お、またか」といった反応になるのでしょう。
それがしんどくないわけではありませんが、たとえ起こったとしても、自分を見失わないで済むものです。
けれど、本質的な意味での「問題」は、違います。
それは、自分のまったく想像していなかった方向から飛んでくるんですよね。
ゴールキーパーがシュートに備えて構えていたら、観客席からシュートを打たれるような、そんな状態でしょうか。
こうした依存的な状態だと、なかなか状況が変わらなかったり、進まなかったりしますから、しんどいんですよね。
だって、自分では何もできないですから、周りの人や相手次第になってしまいますから。
昨日の記事では、そこを抜け出して、いったん「自立」できるようになりましょう、というテーマでした。
そのためには、ある程度がんばらないといけないし、しんどいと感じることもあるかもしれません。
ただ、それは「問題」を自分のものとして扱うために、必ず通らなくてはならない道です。
2.再び「自立」するときは、一人じゃなくていい
この、「自立」するのがしんどいというのは、ある意味で、当然のことです。
私たちは、「依存」時代に深く傷ついた分、「自立」の道を歩きます。
「あなたが与えてくれないなら、もういらない。自分でやるから」
「もうこんな痛い想いはしたくない。だから、一人で生きる」
といった感じが、まさに人が「自立」の道を選ぶ時の感情なのではないでしょうか。
「問題」が起きたときに、人は「依存」的になってしまうもの、と先に書きました。
その「依存」的な状態になって、また「自立しなさい」と言われたら、
「えぇ…また、あのしんどい想いをしないといけないのか…」
となるのも、当たり前ですよね。
たとえるなら、ようやく一人で完成させた1万ピースのパズル(それも柄なし笑)を、バラバラにされて、もう一度やりましょう!と言われるような感覚でしょうか。
「いや、そんなしんどい想いをしないといけないなら、このままでいいや…」と思っちゃいますよね。
そうなると、「問題」が長引くことにもなります。
でも、これって、少し勘違いをしているんですよね。
「問題」に出くわして、「自立」をしなくてはいけないとき。
それは、自分一人でやらなくていいんです。
誰かの力を借りたり、教えを請うたり、仲間といっしょに、進めばいいんです。
もちろん、昨日の記事でもお書きした通り、「問題」と向き合うのも、それを解決するのも、最後は自分自身です。
そこは、変えられません。
でも、最初から最後まで、一人でやらなくてもいいんです。
孤独のなかで、それをやらなくてもいいんです。
時に励まし合い、時に一緒に休憩しながら、時に助けを借りながら。
一緒に、その山道を登っていけばいいんです。
するとそのプロセスは、「自立」のように孤独と孤立でしんどいものでは、なくなります。
そのプロセス自体が、喜びになるような。
そんな状態になることだって、あります。
果ては、「この問題が解決しなかったら、いいのに」と、そんなことを想うことも、あるかもしれません。
ほら、長く遊んだRPGのゲームとかって、終わりが近づくと、クリアしたいけど、したくないような、そんな感覚に近いものです。
3.そもそも、一人で「自立」したのだろうか?
「問題」が起こると、人は「依存」の状態に叩き落されます。
そこから「自立」へと向かわないといけないのですが、そのプロセスは、それまでと同じように、一人でしなくてもいいんです。
だから、そのプロセスはしんどいもの、辛いものではなく、むしろ喜びとつながりに満ちたものであるはずなんです。
というか、それまでの「自立」のプロセスも、一人でやってきた、歩いてきたと思われるかもしれませんが、ほんとのところ、そうではないんですよね。
これが、「自立」から「相互依存」に至るための、一つのポイントだったりします。
「自立」のときって、
「自分一人だけががんばってきた」
「あなたたちは、何にも手助けをしてくれなかった」
と、怒っているんですよね。
だから、「問題」が起こって「依存」状態になったときも、
「どうせ、また一人でがんばらないといけないんだろ」
と、拗ねちゃうんです。
まあ、それも分からないでもないですが笑
でも、ほんとにあなたは、一人だけでがんばってきたのでしょうか。
周りに誰もいなかったのでしょうか。
自分だけの力で、今日ここまで歩いてこれたのでしょうか。
「Yes」と言いたい気持ちも、分かります。
それは、それだけあなたが今日まで、がんばってきた証なのでしょうから。
けれども、もしも、ほんの少しの「No」があるのだとしたら。
それは、「相互依存」という新しい道を示す、道しるべなのでしょう。
完全な「Yes」でも、完全な「No」でなくても、いいんです。
「もしかしたら」という感覚だけで、大丈夫です。
ただ、あなたはきっと、見守られてきたし、助けられてきたし、愛されてきたのだと思うのです。
今日は、あなたは一人でそれをしなくてもいい、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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