いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。
好きなことや心惹かれることを集めることは、人生を豊かにしてくれます。
けれどそれにこだわりすぎると、それが得られないと感じてまた苦しくなるのもまた事実です。
そんなときは、好きなことや心惹かれることへの閾値を下げてみるといいのかもしれません。
結局は、いつもと同じ「日常の細部を見つめる」ということになるのですが。
先日のこちらで、自分の好きなものをリストアップすると、それが幸せの種になると綴らせて頂きました。
自分の心躍るもの、集めよう 〜ASKA「はじまりはいつも雨」に寄せて - 大嵜 直人のブログ
ともすると、私たちは「やらなければいけないこと」「やるべきこと」にばかり目が向いてしまいます。
そんな中で、自分が「心躍るもの」「心惹かれるもの」は何だったのか、すっかり忘れて寝食を繰り返すようになってしまいます。
子どもの頃、見ているだけでワクワクしたもの。
あるいは、それをしているだけで時間を忘れたものって、何だったのでしょう。
誰かのお土産の万華鏡なのか、
プロ野球選手のカードなのか、
憧れのアイドルのプロモーションビデオなのか、
はたまた缶蹴りなのかドッジボールなのか・・・
いろんなものがあったかと思います。
それを想い出してみると、「心躍るもの」「心惹かれるもの」リストが作りやすくなることがあります。
大人になっても、
キラキラしたアクセサリーに惹かれたり、
美味しいお店をコレクションすることだったり、
好きなアーティストのライブだったり、
ダンスやスポーツといった皆で身体を動かす一体感に惹かれたり。
三つ子の魂百までとは言いますが、やはり大きくなってもその根底に流れるものは変わらないものです。
そうしてできた「心躍るもの」「好きなもの」リストは、人生の羅針盤になります。
けれど、その羅針盤に縛られ過ぎるのもまた辛くなることがあります。
そのリストと比較してみると、あまりに今の生活にそれがない、あるいはすぐに得られない、と落ち込んでしまうように。
これ、結構あるあるですよね。
その制限をかけている多くの原因は「お金」と「時間」なのですが、いきなりその制限を外そうと思っても難しいのです。
そんなときは、もう一度日常の細部を見つめて、そのリストにあるものがないかどうか探してみます。
今持っているアクセサリーの組み合わせを考えてニタニタしてみたり、
今日の晩御飯をスマホやテレビを切ってただ味わってみたり、
好きな音楽の動画やCDをもう一度見直してみたり、
あるいは身体を動かすことの喜びを、歩きながら感じてみたり。
「心躍るもの」「好きなもの」リストに無理して手を伸ばしてわき腹が攣ってしまうよりも、今日一日の暮らしの中に「心躍るもの」「好きなもの」を見つけてみる、という感覚です。
一つでも見つかればしめたもの。
芋づる式にそれは見つかっていきます。
それは、「幸せの閾値を下げる」ということと言い換えられるかもしれません。
今日のお客さまの一日の中で、「心躍るもの」「好きなもの」は何でしょうか。
ぜひそれを目一杯楽しんでみてはいかがでしょうか。
今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。
新緑もだいぶ深まってきて、気持ちのよい季節ですね。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。