今年一番の冷え込みとなった11月下旬の朝。
吐く息は白く、風は冷たい。
もう季節は冬といっていいくらいだ。
見慣れた風景の通勤路の途中で、木々が淡いピンクに色づいているのに気づく。
一瞬、逡巡したが、車のハンドルを右に切って、その公園のような場所に停めた。
晩秋の冷たい空気のもとで、凛として咲いていたのは冬桜だった。
この時期の朝日の色は、まるで夕陽のような暖かい色をしている。
けれども、間違いなくそこにあるのは「朝の空気」なのである。
新鮮、というか、汚れていない、というか。
不思議な感覚を覚えながら、しばし冬桜を眺め、シャッターを切った。
気づかなければ、素通りしていたかもしれないこの景色を存分に味わった。
癒されるほどに、世界を繊細に見ることができるようになるのかもしれない。
「世界を見る目の解像度」が高くなる、という感覚だろうか。
そして、他の人が見ていなかったり、目には入っているけど気にも留めていないものごとを、
「ほら、ここにこんな綺麗なものがあるよ」
「ここに目を向けると、おもしろいよ」
と言えるのが、表現者であり芸術やアートと呼ばれるものなのだろう。
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そんなことを考えながら、どこかで記憶のある光景だと思ったら、ちょうど去年の今ごろに同じように咲いていた冬桜に目を奪われて車を停めていたことを思い出した。
ブログにも書いていたようだ。
日常の細部を愛でると、いろんな驚きと発見と癒しがある - 大嵜 直人のブログ
今年も気付けてよかった。
ブログに記録を残していると、こんなときに嬉しくなる。
調べてみたら、去年のこの写真を撮影したのが2017年11月24日。
そして、このエントリーの写真を撮影したのが2018年11月23日。
びっくりするくらいに、季節の流れは完璧だ。
誰が何かをしようと意図しているわけではないのに、完璧なプロセスでそれは流れていく。
季節の移ろいを見つめ続けるということは、
すなわち自分の人生のプロセスを信頼し続ける、ということなのだろう。
今日も世界は美しい。