大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「罪悪感」の性質と、それを抱いたときの二つの反応。

人は「罪悪感」を抱いていると、引きこもるか、攻撃するかの、いずれかの反応をとります。

それは正反対のように見えて、自らつながりを切り、自分を前に進ませないという意味では、同じようです。

そうした「罪悪感」との付きあい方について、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.罪悪感はあなたの力を抑えてしまう

自分に罪の意識を感じているほど引きこもってしまいます。

罪悪感を感じていると、自分で悪いと感じているところがさらけだされてしまうことを怖れ、前に進めなくなってしまうのです。

そこで引きこもりつづけたり、ときに攻撃に出たりします。

攻撃とは支配の一形態であり、力のなさと、どれだけ怖れがあるかを示しています。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.214

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2.罪の意識と、それに対する反応

今日のテーマは、「罪悪感」です。

あらゆる問題の原因ともいわれる、「罪悪感」。

ここでも何度も扱っているテーマですが、今日も少し深めていきたいと思います。

罪の意識、その源泉

「罪悪感」とは、文字通り、何かに対して感じる「罪の意識」を指します。

いわば、自分を罪人のように感じるわけです。

それがゆえに、「罪悪感」を持つと、それを償うための「罰」を求めるようになります

罪人は、罰を受けないといけないわけですから。

そうすると、自分を幸せから遠ざける行動を取るようになります。

自分でも意識していないところで、自分に罰を与えるような行動をしてしまうわけです。

これが、「罪悪感」の恐ろしさです。

さて、人が罪を感じるのには、いくつかの源泉があります。

分かりやすいのは、誰かを傷つけた、物を壊したという、加害者が持つ罪悪感ですよね。

あるいは、助けられなかった、役に立てなかった、という無力感からくる罪悪感もあります。

似たようなもので、何もできなかった、見捨ててしまった、という罪悪感があります。

さらには、自分が周りと比べて恵まれていることに、罪悪感を覚える場合もあります。

あるいは、自分は汚れている、毒である、というイメージからくる罪悪感があります。

そして、親や家族から受けついだ罪悪感、あるいは宗教や地域社会が持つ罪悪感といったものもあります。

まあ、ここにざっと挙げただけでも、いろいろありますね…

書いていて、うんざりしてきました笑

言ってみれば、人が生きていく中では、「罪悪感」を持つことは避けられない、といえるのかもしれません。

引きこもるか、攻撃するか

さて、そうした「罪悪感」ですが、それを抱いたとき、人の反応は大きく分けて二つです。

すなわち、「ひきこもる」か、「攻撃する」か、です。

ある人が、仕事の上で大きなミスをしたとします。

それを、上司にとがめられたとしたら。

周りと顔を合わせないように、肩身を狭くする。

「あのクライアントの指示の出し方が悪いんだって!」とか言って、キレる。

のいずれかの反応が多いのではないでしょうか。

ええ、たとえ話ですよ、ほんと笑

自分のミスという「罪悪感」を感じていればこそ、それを指摘されたときに引きこもるか、攻撃するか、の反応を取るわけです。

引きこもるか、攻撃するか。

それは、正反対のように見えて、実は同じことなのかもしれません。

つながりを切り、自分を前に進ませない

それが、「罪悪感」を感じたときの、人の反応の本質といえます。

3.人生というゲームを楽しむための「制約」

「制約」があればこそ、楽しめるのかも

さて、このようにやっかいな「罪悪感」。

ですが、実は人間がこの世に生まれてくるときに、必ず選んでくる感情、と言われるのを聞いたことがあります。

「え?こんなめんどくさい感情を、なんでわざわざ?」、と思われるでしょうか。

「罪悪感」とは、幸せを遠ざけるものです。

しかし、逆から見れば、「罪悪感」があればこそ、人はこの世を楽しめるのかもしれません。

言い換えると、「罪悪感」とは、人生というゲームを楽しむための「制約」なのでしょう。

手を使ってはいけない、という「制約」の中でこそ、サッカーは楽しむことができます。

ラグビーも、前にパスを出してはいけない、という「制約」があればこそのスポーツです。

どうも、この世界に生きる私たちは、そういった「制約」が好きなのかもしれません。

何より、私たちは興味のないもの、愛情を感じない相手には、「罪悪感」を覚えません

だからこそ、パートナーや家族、あるいは我が子といった、関係性の近い存在ほど、「罪悪感」を抱きやすいんでしょうね。

気づいたら、手放そう

だからといって、「罪悪感をずっと抱えていましょう!」というわけではありません。

自分で自分の幸せを遠ざけるのは、しんどいものですから。

しかし、自分が「罪悪感」を持っていることには、なかなか気づきにくいものです。

逆から見れば、「引きこもる」、もしくは「攻撃する」という行動を取りたくなったとき、それは何かに「罪悪感」を抱いている、と言えるのかもしれません。

どちらも、自分を孤立させ、前に進まないようにする行動です。

そうしたくなったときは、「何に罪悪感を抱いているんだろう」と振り返ってみるチャンスかもしれません。

カウンセリングなんかでは、よくそんなお話をすることがあります。

自分が何がしかの「罪悪感」を持っていることに気づいたら。

手放せるわけです。

「あぁ、こんなに罪悪感を持っているんだな。それだけ、このことが大切なんだな」

そう思えたら、もう半分は手放せたようなものです。

すべての問題について言えることですが、「気づいたら終わり」です。

その「罪悪感」を、こんなふうにイメージの世界で、流してあげましょう。

あなたの罪悪感を小さな舟にのせて送り出しましょう。

その舟は川の速い流れに運ばれて、あっというまに流れていってしまいます。

この川はあなたの意識からすべてお罪悪感を洗い流してくれます。

あなたは解放され、前に進むことができるようになります。

同上 p.214

 

今日は「罪悪感」について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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