大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。それでも、愛することを諦めきれないあなたへ。

あなたが一歩踏み出せないのは、勇気がないわけでも、ダメなわけでもない。

新しい何かを始めたい、何かに挑戦したいと思っても、なかなか踏み出せないとき。

それは、あなたに勇気がないわけでもないし、ダメなわけでもない。

それは、単にいまのあなたにとって「必要がないから」。

そんなときは、無理しようとするよりは、いまの生活だったり仕事だったりを、丁寧に取り組む方がいい。

このままじゃダメだ、現状から脱却したい、いままでの自分から変わりたい、と思うとき、人は何か行動を起こそうとする。

それは、何らかの学びであったり体験であったりする。

私も、いままでの自分を変えたくて心理学を学んだり、ランニングをしたり、いろいろ始めたりした。

ここで書くことのように、いまでも続けているものもあれば、全然続かなかったり、始めることすらできなかったこともたくさんある。

そんなとき、挑戦できない自分を否定したり、一歩踏み出せない自分を勇気がないと責めたりしがちになる。

周りの目に映る人は、 その小石を軽々と飛び越えているのに、なぜ私はできないのだろう。

あんなことくらいできないのは、やっぱり私はダメな人間なんだ。

よく陥りがちな自己否定の罠である。

けれど、ほんとうに、あなたという存在は、そんなにも愚かで、嘆かわしい、ダメな存在なのだろうか。

あなた自身が薄々感づいている通り、真実はそうではない。

起こっていることが、いつも完璧だとするなら。

一歩踏み出せないこと、チャレンジできないことは、何も悪いことではない。

それは一つの真理を教えてくれているのかもしれない。

すなわち、いまの自分にとって必要ではないことなのだ。

その一歩踏み出す勇気を、新しいことに始める必要がない、というだけのことなのだ。

それは、いま目に映る現状と、丁寧に向き合う必要がある、というだけのことなのだ。

大切なことは、いま目の前に、ある。

大切なひとは、いま目の前に、いる。

それらに丁寧に向き合い、集中して取り組むべき何がしかがある、というだけのことだ。

新しい学びや、

あなたの知らない真理や、

未だ見ぬ使命や、

何かに向いているという適性や、

あなたの外側にいる人たちや…

それらは、あなたを薔薇色のステージに導いてはくれない。

今とは違う別の世界に行けば、幸せになれるという罠は、誰でも嵌る。

それは、罠であり、幻想だ。

もしも、一歩が踏み出せなかったり、新しい何かにチャレンジできなかったとしたら、それは福音だ。

そこへ踏み出すのは蛮勇だ、とあなたは分かっているから、踏み出さないのだ。

そして、必要なのは、いまの自分の現状を客観的に観て、それを受け入れ、その現実を丁寧に生きる、という覚悟だ。

それは、新しいことを始めたり、一歩踏み出すよりも、よっぽど深く偉大な勇気を試される。

意識的にせよ、無意識的にせよ、あなたはそれを理解している。

だから、一歩が踏み出せない。

いや、踏み出さない。

人生を変えるのは、日常であると知っているから。

どこか遠くにある学びや、体験や、人の縁ではない。

この一呼吸、いまこの思考、この言葉一つ、いまのあなたの微笑みの積み重ねが、人生を人生を変えるのだから。

あなたの内なる神は、一歩踏み出そうとするあなたを制し、こう言う。

日常へ、帰れ。

と。

あなたは何も欠けているところのない、大輪の花のような存在だとしたら。

もちろん、花も咲く前は種であったり、新芽であったり、蕾であったりする。

けれど、それと花の形とは何の関係もない。

種であっても、新芽であっても、蕾であっても、しおれていても、あなたの本質には何ら関係がないことを、私は知っている。

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花は誇らず、ただ咲く。

日常を、愛せ。