いつもの通り道。
2,3日前に、薄紫とピンク色をした花が咲いているのを見つけた。
秋の花は、なぜか物哀しい色をした花が多いように思う。
最近知ったのだが、「うれい」とは「憂い」とも書くし、「愁い」とも書く。
「秋の心」と書いて、「うれい」。
なんとも素敵な漢字ではないか。
確かに生命の死に絶える冬に向かうことに、人は愁いを覚える。
されど、熱した薬缶は放っておけば自然と冷めるように、秋分ごろから冬至までの期間というのは人にとって自然な気候のように思う。
熱力学の第二法則が示す通り、外部から何も手を加えないならば、熱は高い方から低い方に移っていくのが自然の法則だ。
反対に、春分ごろから夏至までの、どんどん気温が上がっていく期間というのは、自然の法則に反している。
春先は精神的に不安定になる人が多いのは、そのせいのような気もする。
それなのに、人は冬に向かうことを「愁う」。
それは、食糧がなくなる心配や、冬ごもりの準備などを連綿と繰り返してきた、歴史的な産物なのだろうか。
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そんなことを考えていたが、今日同じ場所を通ると、あの薄紫とピンク色は消えていた。
可憐な花の後に残っていたのは、小さい頃に原っぱで遊ぶとズボンにたくさんくっついてきて、取るのが面倒だったあの実だった。
小さい頃は「ひっつき虫」というような呼び方をしていたのだが、また名前が知りたくなり調べてみた。
アレチヌスビトハギ。
漢字にすると、「荒れ地盗人萩」。
北米原産の外来種で、日本在来種である「ヌスビトハギ」に似ていることからその名がついており、その「盗人萩」は緑色の豆果が、泥棒が忍び足で家に入るときの足跡に似ていることからつけられているそうだ。
荒れ地盗人萩。
アレチ、ヌスビトハギ。
「ひっつき虫」からすると、ずいぶんと個性的な名前だ。
されど、その名を知ることができて、また世界が広がった。
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それにしても、2日くらい前に、あんなに一面に咲いていたのに?
昨日の夜降っていた雨が、花散らしの雨だったのかもしれない。
時の移ろいの早さには驚くばかりだ。
それでも、一瞬の奇跡に立ち会えていたことを嬉しく思った。
変わらないものなど何もないけれど、
ただ、その瞬間瞬間にこそ愛は宿るのかもしれない。
愛とは、いま、ここ、あるがまま。