大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

完全な、それでいて不完全な。

二日ほど前、梅雨の合間に黄色を見かけた。

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タンポポだろうか。

タンポポというと、春先の弥生のころを想うのだが、この梅雨時期の黄色も悪くない。

完全な円ではなくて、少し欠けたその花弁の形が、どこか愛嬌があり美しかった。

いつも、わたしたちは完全なものになろうとする。
欠点をなくし、短所を修正し、影や陰の部分を隠し。
完璧で完全な円になろうとする。

ありのままの自分は、いびつな形をして当たり前なのに、それを隠そう直そう無くそうとする。結果、苦しくなる。
無理矢理に形を変えることなど、できはしないのに。

長所で尊敬され、短所で愛される。
そんな言葉があるように。

その欠けた部分は、たいせつな誰かに与えさせてあげるスペースだ。
それを晒したとき、誰かが愛を注いでくれる。
欠点、弱さ、短所は、愛を受け取るために天から与えられた恩恵ともいえる。

かの有名なサモトラケのニケ、あるいはミロのヴィーナスが、もし完全な形で残っていたとしたら。
いまのそれらが持つ美はありうるだろうか。

不完全なように見えて、完全なのだろう。

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そんなことを想う、不完全な黄色。

その二日後に、同じ場所を通ると、また黄色が目に入ってきた。

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まんまるの、黄色の花。
いつの間に、満ちたのだろうか。

後から満ちることなど、あるのだろうか。
そんなことは無いような気がするが、そうすると二日前の花とは別の花なのだろうか。

この世をば 我が世とぞ 思ふ望月の

欠けたることも なしと思へば

満月を詠った、平安時代に栄華を極めた貴族の歌が想起される。

不完全さも、完全さも、どちらも美しいじゃないか。
いや、そもそもが、不完全であり完全なのかもしれない。

昼夜があって一日のように。陰陽があってものごとが満ちるように。

完全も、不完全も。

すべては、ひとつながりのもの。