さて、細々と続けているストレッチについてです。
相変わらず、参考にしているYoutube動画の先生のように180度開脚ができるようにならないのですが、それはそれでよしとします。
ここのところ、納期やら締切やらでサボり気味だったのですが、何とかまた再開しています。
いつも参考にさせて頂いている動画が3本で、あわせて30分ほど。
その時間を持てるかどうかが、どうやら一つの分かりやすい基準になっている気がします。
それは、オーバーワークかどうか?
という基準です。
ストレッチは、一日サボったくらいですぐに何か不都合や身体の不調が出るものでもない。やればやっただけ気持ちいいし、長期的に見れば身体の柔軟性を保つのは怪我を防止したりしてくれるのでしょう。
けれど一日だけやっても、やらなくても、大差はないように感じます。やらないよりは、やった方がいいのは、確かなのでしょうけれど。もちろん、スポーツ選手やスポーツジムのインストラクターなど、身体を使う職業をされている方には大切なのだろうと思いますが…
だからこそ、その時間を自分に与えられるかどうか、というのは一つの分かりやすい基準のように思えます。
やらなければならないことに追われて、自分に与えることができなくなっている。
そういう風に、見ることができそうです。
もちろん、毎日が同じように流れていくわけではなく、仕事や家事の都合や、さまざまな変化の中で人は生きている以上、忙しい日もあれば、落ち着いた日もあるのが普通だと思います。けれど、その中で自分に与えることができない日が「続く」のは、一つのサインなのかな、とも思います。
ただ、オーバーワークだと分かったところで、単純にそれはやめよう!と言いたいわけではありません。オーバーワークがよいものか悪いものかは、その人の状況に依るのでしょう。まずは、気付くこと。それが、すべての始まりです。
昨今、働き方改革の名のもと、ハードワーク、オーバーワークは悪だという認識が定着しました。私が社会人として会社で働き始めたころ、20年ほど前でしょうか、その頃にはまだバブル期の「24時間戦えますか?」の空気が残っていたように思います。
労働時間が長いほど、頑張っていると見なされる。自分のプライベートよりも、仕事を優先する人が偉い。そんな空気が、あったように思います。
それが、労働生産性の向上など、いかに短時間で成果を上げるか?という視点が重視されるようになり、ワークライフバランスという言葉がさかんに聞かれるようになりました。
時代は変わるものだな、と感じます。
少し、話しが逸れてしまいました。
オーバーワークという言葉、あるいは状態には、良いも悪いもありません。ただ、忙しくしている、という状態を表しているだけです。
どう捉えるかは、それを見る人自身です。
いまはちょっと頑張りたいならば、オーバーワークの状態を続けるのもいい。
筋トレなどは、過負荷をかけて筋肉を強くします。ただ、24時間ずっとバーベルを持ち上げ続けるトレーニングなどないように、それは「いつまで」といった期限を切ってするものです。ここはちょっと踏ん張りどころだから、頑張ろう。そういう時期が、あってもいいのでしょう。
もしそうでないなら、少しオーバーワークとの関係を見直してもいいのかもしれません。
そのどちらを選ぶにせよ、まずは「気付く」ことが第一歩のように思います。
その基準になるのが、「やったほうがいいけれど、やらなくても回ってしまうこと」になるようです。
それが、いまの私の場合はストレッチのようです。
毎日続けられることが望ましいのですが、続けられないことにも、意味がある。
そんな風に、起きていることを見ていきたいものです。