今日は中秋の名月でした。
聞くところによると、今年は満月と中秋の名月が、8年ぶりに同月になる暦だそうです。
なんでも、中秋の名月とは旧暦の8月15日を指すそうで、必ずしも満月とは一致しないそうです。
なんとなく、中秋の名月=満月だと思っていた私には、新しい学びでした。
暦を知ることは、面白いものですね。
そんな中秋の名月を見上げたく、近くの少し広い公園に車を停めて、夜空を眺めていました。
しかし今日は午後から曇り空で、少し雨もぱらつくようで、残念ながら満月は綺麗に見えませんでした。
それにしても、ずいぶんと夜の帳が下りるのが早くなりました。
少し前までは、午後7時過ぎでも明るかったような気がしますが、もうその時間は夕闇に覆われています。
涼し気に吹く風、秋の虫の音色を聴きながら。
少し、満月の見えない夜空を眺めていました。
これまで連綿と紡がれてきた歴史の中で、多くの人が眺めたであろう、中秋の名月。
分厚い雲に隠れていようとも、それをいまこうして眺めていることが、感慨深くなります。
それにしても。
月はいつも何も言わず、淡々と隠れ、淡々と輝くようです。
なろうとするのではなく、ただ、そうなるだけ。
人は、何かになろうと躍起になったりするけれど。
そんなことをしなくても、流れに任せていると、ただ、そうなっていくのかもしれません。
はながさく
とりがうたう
小学校一年生の、国語の教科書の一文が、ふと浮かびました。
それは、私の小学生時代の教科書だったのか、それとも、何か別の教科書だったのか。
花も、鳥も。
なろうとしているわけでもなく、ただ、そうなるだけなのかもしれません。
ただ、そうなるだけのものを、愛でること。
それは、この上ないよろこびの一つでもあります。
はながさく
とりがうたう
つきがみちる
ふと口をついたことばは、ふわりと夜空に浮かんで、ふっと消えていきました。
もう一度、そのことばを呟きながら。
分厚い雨雲の向こうにある、今年の中秋の名月を眺めていました。
満月は見えねど、地上の星もまた、よし。