大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

愛することは、絶対優位となる生き方。

愛すること、愛し続けることとは、絶対優位となる生き方といえます。

少し心理学とは違った角度から、それを考えてみたいと思います。

1.低迷するチームを、応援するべきか…

早くも今季2度目の3連敗。

何がって、我が中日ドラゴンズのことです。

開幕前に、セットアッパーとして期待された助っ人がなんと亡命と、まさに波乱の幕開け。

蓋を開けてみれば、リーグ屈指の投手力を擁しながら、いかんせん打てず、守れず、歯車が噛み合わない。

期待のルーキーや主力に怪我人も相次ぎ、まさに苦難の船出となった4月。

季節はこんなにも麗らかなのに、なんと試合展開の重いことか…

こんな展開が続くと、

「なんでこんなに勝てないの…もう、応援するのに疲れちゃったよ…」

と、そんな風に感じることは、ファンなら一度や二度ではないはずです。

低迷するチームを、このまま応援するべきか…それとも…

それは、「私ばっかり愛して、疲れちゃったわ…」という気持ちと、近いのかもしれません。

愛することは、損なことなのでしょうか。

2.「ゲーム理論」と「パスカルの賭け」

「ゲーム理論」から考える絶対優位の戦略

さて、「ゲーム理論」という経済学の理論があります。

数学的に最適な戦略を取るために、場合分けをして考えることをベースにした理論です。

有名なのは、「囚人のジレンマ」と呼ばれるものでしょうか。

二人の囚人がいて、それぞれに自白する場合と、黙秘する場合があり、それぞれの場合によって結果が変わる、というあれです。

二人の囚人がお互いに意思疎通を取れない状況だったとして

両方とも自白した場合は、両方とも5年間の懲役。

どちらかが自白した場合、自白した方は無罪、黙秘した方は10年間の懲役。

両方とも黙秘した場合は、両方とも2年間の懲役。

という条件があった場合、最適な戦略は「自白する」になります。

この命題は、いろんな角度から考えることができますが、重要なのは、「どんな場合でも、自分のリターンが最大となる選択が存在する」ということです。

上の例でいくと、「自白する」という選択が、絶対優位の戦略になります。

自白とか、懲役とかになると、ちょっと物騒な話になるのですが、私たちの生きる上の選択を考えると、非常に参考になる見方です。

必ず、絶対優位となる生き方がある、という考え方です。

すごく当たり前の話なのですが、「あいさつをする」という行動は、絶対優位の選択です。

「人にやさしくする」とか、「人を頼る」というのも、そうですよね。

そこで自分にとってのリターンがなかったとしても、損になることはないわけです。

反対に、絶対劣位になる選択というのも、考えられます。

「その場にいない人の陰口を言う」とか、「匿名のSNSで誹謗中傷をする」とかになるでしょうか。

自分にとって損になることはあっても、何の得にもならないわけです。

「パスカルの賭け」

そうした考え方の、究極にあるのが「パスカルの賭け」と呼ばれるものかもしれません。

神さまがいるかどうかは、人間の理性ではわからない。

けれども、もし神さまがいることに賭けたとして、その賭けが外れたとしても、何も失わない。

一方で、その賭けに勝てば、すべてを得ることができる。

だから、神さまがいることを信じることが、賢い生き方である、と。

神さまを信じることが、絶対優位の選択であるとしたのが、「パスカルの賭け」といえます。

3.愛することは、絶対優位の選択

もちろん、私たちの周りはとても多面的で、そんなに単純なものでもないかもしれません。

けれども、「絶対優位となる選択」があると考えることは、一つの参考になると思うのです。

人にやさしくすること。

笑顔でいること。

そのために、自分を大切にすること。

そして、誰かを愛すること。

愛することで、失うものは何もないわけです。

その愛が届かなかったら、自分が傷つくかもしれない?

そう思うかもしれません。

そうだとしても、傷は癒すことができます。

それよりも、愛したいのに、愛さないことの葛藤の方が、私たちの心を大きく蝕みます。

愛したいのに、愛することができなかったとき、私たちは深く傷つきます。

そう考えていくと、愛することとは、絶対優位の選択であるといえます。

ということで、私も低迷するチームを、応援し続けたいと思います笑