「期待」とは、欲求の表現方法を変えたものです。
そして、その欲求が叶わないと、人は「傷ついた」と感じます。
自立的な人に多いそんな心理と、その付きあい方について、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.心の傷とは、人に望みを満たしてもらえるという期待が裏切られること
心が傷つくのは、パートナーはかくあるべきだという期待や、あなたの「ルール」を手放していないからです。
期待を手放したとき、心に柔軟さが生まれます。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.227
2.「期待」の心理
今日のテーマは「期待」です。
言葉面からすると、ポジティブなイメージがありますが、心理学においては、少し様子がちがいます。
「期待」とは欲求の一つのかたち
心理学における「期待」とは、「欲求の表現方法を変えたもの」です。
それは、厳しい見方をすれば、現実と向きあうことができずに、自分のなかのファンタジーに逃げ込んでいる状態ともいえます。
たとえば、小学生のわたしがいたとして。
もうお盆も過ぎ、ツクツクボウシも鳴きはじめて、うだるような暑さが少し和らいだころ。
宿題のことを、考えるわけです。
自由研究をやらないといけない。ポスターも。日記も。読書感想文も……あぁ!!
そんなとき、わたしは手を動かす前に、こう思うわけです。
明日、学校に隕石が落ちればいいのに!、と。
しかし、そんなことはなく、Xデーはやってくるわけです。
そこで、わたしはすごく傷つくわけです。
あぁ、やっぱり…どうせぼくの望みなんか、神さまはどうでもいいんだ…
はい、ちょっと極端すぎますでしょうか笑
いや、夏休みに入ってすぐに宿題を終わらせる人や、コツコツできる人は、「???」かもしれませんね。
それはさておき、同じことを私たちは、パートナーや他の人にしてしまうわけです。
自分のなかの欲求を、「期待」というオブラートに包んで、後生大事に抱えてしまう。
その「期待」が叶わなかったときに、心が傷ついたと感じる。
はい、やってしまいますよねぇ、ほんと…
自立するほどに、「期待」はふくらむ
さて、こうした「期待」ですが、心のプロセスでいうところの「自立」の状態にいるときほど、周りにしてしまうものです。
「私はなにもできないから、誰か何とかしてほしい」が依存。
「私がなんでもやるから、他に誰もいらない」が自立。
このうちの、自立の状態のときに、人はよく「期待」してしまいます。
「依存」の状態のときは、人は素直に欲求を表現します。
なにもできないわけですから、仕方なくですが、周りに欲求をぶつけます。
しかし、自分にはなにもできない、という無価値感ゆえに、なかなか受けとることができないのも、「依存」の特徴です。
これが「自立」になると、欲求をストレートに表現せずに、「期待」をするように変わります。
「依存」時代が他人に振り回されてしんどいかったがゆえに、もう周囲にはなにも求めない!と決めます。
しかし、自分のなかの欲求が消えるわけではありません。
その欲求を、「こうなったら、いいなぁ」と、心の中で願うようになるわけですね。
しかし、その「期待」を誰かが満たしてくれることは、ほとんどありません。
だって、こうしてほしいって、言ってないんですから。
誰も、分からないですよね。
「期待は裏切られる」という格言がありますが、なかなかそうした内に秘めた「期待」が叶うことはありません。
そして、「期待」と違う現実が現れたときに、人は傷つきます。
それは、自分の中で「こうあるべき」「こうあるはず」といった、観念やルールが、破られた瞬間ともいえます。
3.「期待」を手放して、現実を見る
「期待」との付きあい方
こうした「期待」と、どうやって付きあっていくか。
「期待は手放せ」と言われますが、うまく手放していくために、二つの視点をご紹介したいと思います。
「自立」が「期待」を引き起こすのであれば、まずは「自立」を手放し、癒していくことが求められるのでしょう。
すなわち、自分で全部やろうとしない。
頼る、任せる、預ける、委ねる…そうした周囲の人への態度が、必要になってきます。
もちろん、「自立」的な人が、それをするのはとっても難しいことです。
えぇ、それをするなら、「期待」が裏切られほうがマシ!とさえ、思われるかもしれません笑
けれど、そういう方向もあるよ、と知るだけも、違うのではないでしょうか。
そしてもうひとつは、「期待」している自分の感情と向き合うこと。
これも、「自立」的な人は、苦手かもしれません。
先の例でいえば、宿題をやりたくない、という気持ちと、向き合うわけです。
「やりたくないなぁ」
「めんどくさいなぁ」
「絵が下手だから、ポスター書きたくないなぁ」
「本読んでも、おもしろくないしなぁ」
…などなど、いろんなネガティブな感情を、そのままに感じてあげるわけです。
ここが、しんどいですよね。
誰もが、ネガティブな感情なんて、見たくないですから。
でも、そこに蓋をしてしまうと、また「隕石が…」と「期待」してしまいます。
ネガティブな感情と向き合うと、どうなるか。
その感情を大切にした上で、現実と向き合うことができるようになります。
「イヤだよなぁ。そうだよなぁ」
その上で、
「でも、仕方ないから、そろそろがんばってやるか」
と腰を上げて動くのか、
「うん、やっぱりやりたくないから、やらずに行こう。怒られるかもしれないけれど、それはもうしゃあない」
と納得した上でやらない、という選択をするのか。
いずれにしても、自分で主体的に現実を選んでいくことができるようになります。
そうすると、隕石の軌道に一喜一憂することが、なくなります笑
自分の感情を、丁寧に見ていくこと。
それは、「期待」を手放すためには、必要なものです。
「期待」は裏切られるもの。
だからこそ、それを手放して、現実にアプローチしてくことで、無為に傷つくことを減らせるようです。
今日は「期待」をテーマにして、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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