大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

目の前のできごとに感じる「痛み」は、もっと古い痛みを癒すために浮き上がってくるもの。

いま現在の人間関係のなかで、何らかの痛みを感じるとき。

それは、私たちの「古い痛み」が影響している場合があります。

それは厄介なことですが、その「古い痛み」を癒せるからこそ、浮かび上がってきたのかもしれません。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.いまの関係での「拒絶された痛み」は、昔の傷の痛みを癒すため

関係のなかで「拒絶される痛み」を体験するのは、私たちが内面にかかえている昔の痛みを触発するためなのです。

子供のころや初恋の胸がはりさけるような悲しみが癒されないかぎり、それはいまの関係をむしばみつづけるのです。

 

いま、もし傷の痛みをそのまま体験して「これは本当に古い痛みなのだ」ということを悟り、古い痛みが何なのかを知ってそれを分かちあえば、パートナーもそれに敏感に反応することでしょう。

 

その痛みがどこからきたのかをすすんでコミュニケーションしていくと、私たちはどんどん自由になり、開かれていきます。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.275

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2.目の前のできごとに感じる「痛み」の秘密

今日のテーマは、「古い痛み」でしょうか。

いまの関係に影響をおよぼす、「古い痛み」について考えてみます。

「感情」には時間の概念がない

よく、「感情には時間の概念がない」と言われたりします。

数十年前のできごとの痛みを、「いま」ありありと感じたりするのは、そのためです。

そのときはあまりにもショックで、何も感じられなかったとしても、「感情」をまったく感じないということはありません。

その「感情」は、心の奥底で、静かに感じられるときを待っています。

「感情」は、感じることでしかなくなりません。

どれだけ抑圧したり、なかったことにしたりしても、感じられなかった感情は、心のどこかに澱のように残り続けます。

それは、ある意味では厄介なことなのですが、ある意味でこの上ない救いでもあります。

そのとき感じられなかったことがあったとしても、どれだけ時間が経ったとしても、癒すことができるのですから。

私自身も、そうでした。

肉親を続けて突然亡くした、悲しみや寂しさ。

それは、亡くしてすぐのときには、あまり感じていませんでした。

実際に「悲しい」、「寂しい」と感じることができたのは、15年以上経ってからのことでした。

目の前のできごとは、古い痛みを触発しているだけ

さて、そうした「古い痛み」があると、いまの関係の中で、それを感じさせるできごとが起こります。

関係のなかで「拒絶される痛み」を体験するのは、私たちが内面にかかえている昔の痛みを触発するためなのです。

いまの関係のなかで、何らかの痛みを感じるできごとが、あったとしたら。

それは、まだ癒えていない「古い痛み」があるのかもしれません。

心が傷つく、傷みを感じるということは、自分自身の心が、何らかの形でできごとに反応している、ということです。

極端な話に聞こえるかもしれませんが、同じ話を聞いたり、同じできごとが起こっても、平気な人もいれば、胸がはりさけそうに痛む人もいます。

たとえば、5月に「母の日」があります。

たしか、第2日曜日だったでしょうか。

「母の日」が近づくと、いろんな広告やニュースで、それを目にします。

しかし、それを目にしたとき、それに何を感じるかは、人それぞれです。

「日頃の感謝を込めて、お花を贈ろうか」、と温かな気持ちになる人もいるでしょう。

けれど、母との間に葛藤を抱えている人にとっては、その広告を見るだけでも、胸が苦しかったりします。

あるいは、母を亡くして間もない人は、その文字を見るたびに、また喪失の痛みを覚えるのかもしれません。

目の前にあるのは、同じ「母の日」というできごとです。

しかし、そこに私たちは、いろんな意味付けをして、いろんな感情を貼り付けます。

そして、もしそこに「痛み」を感じるのだとしたら、それは何がしかの「古い痛み」が影響しているのかもしれません。

3.痛みを感じるのは、癒すことができるから

その痛みを感じるのは、昔の傷を癒すため

先ほどの「母の日」の例は分かりやすいのですが、厄介なのは分かりづらい場合です。

自分自身も意識していない、あるいは忘れてしまっていた「古い痛み」。

それがあると、いまの関係性を蝕んでしまいます。

もちろん、その痛みが辛すぎるがゆえに、意図的に封印していた、感じないようにしていた、という見方もできるのでしょうけれども。

パートナーとの関係のなかで、感じる「痛み」。

それは、どこかで経験した「古い痛み」が、疼いている場合があります。

引用文にあるように、いまの関係で「拒絶された痛み」を感じるとしたら、それは子どもの頃や、思春期の恋愛で感じた痛みが、影響している可能性があります。

はい、イヤですねぇ…昔の痛いできごとを思い出すなんて…

なんだか、ゲンナリしてしまう話のように聞こえるかもしれません笑

けれども、真実はきっとその逆です。

いまの関係のなかで、「痛み」を感じること。

それは、言い換えると、「古い痛み」を癒すことができるからこそ、いま「痛み」を感じるといえるのでしょう。

「痛み」を感じるのは、癒すことができるから。

その希望の部分に、フォーカスしたいものです。

大切なのは、分かち合うこと

さて、そうした傷を癒すために。

パートナーシップは、絶大な恩恵を与えてくれます。

ただ、その「拒絶された痛み」からくる悲しさ、怒り、寂しさ…そういったネガティブな感情を直接ぶつけても、何も解決はしません。

ぶつけたくなるものですけれどね。にんげんだもの笑

コミュニケーションするべきなのは、そういったネガティブな感情の、下にある感情です。

「あなたに拒絶されたと感じる。あなたにはそうした意図はないのかもしれないけれど、そう感じてしまった。あなたを大切に感じるからこそ、とても悲しく感じる」

相手が大切だからこそ、いとおしいからこそ、その痛みを感じる。

伝えるのは、この「大切だからこそ、いとおしいからこそ」の部分です。

自分自身の中の、そうした深い感情を分かちあった分だけ、相手もまた、こちらに向き合ってくるのでしょう。

もし相手の方に自分を傷つける意図がなければ、そのことについてコミュニケーションしてくれるかもしれません。

そしてそれは、自分自身の「古い痛み」を癒したり、過去の誤解に気づいたりすることにつながっていくのでしょう。

その痛みがどこからきたのかをすすんでコミュニケーションしていくと、私たちはどんどん自由になり、開かれていきます。

パートナーシップの、偉大な力ですね。

 

今日は、「古い痛み」がいまの関係に与える影響について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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