「自立」は傷や痛みを隠すことはできますが、それを癒すことはできません。
それが癒されないままだと、まわりの人を傷つけることになったりします。
「依存」時代の痛みや傷と向き合う恩恵を、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.あなたが傷ついている分、まわりの人を傷つける
私たちは何度もつらい思いをしたり、または、一度でもひどく傷ついたとき、それ以上、傷つかないですむように「自立」を決意します。
人とのつながりを断ち、もう二度とだれにもしばられたくないとか、犠牲をしいられたり、「愛の奴隷」になりたくないという気持ちからそうするのです。
これ以上、自分の感情を感じるのがいやなので、自立という役割を選ぶのです。
自立という役割は自己充足的なので、ある種の魅力が強まり、あなたのまわりには人が集まってきます。するとそのとき、あなたにひきつけられてきた人たちの、依存性が引きだされてしまします。
彼らは依存的になり、自分の望みをあなたに満たしてもらおう、あなたをつかまえてかかわりをもとうとするのです。
そういったことはみな、あなたが「もう絶対にそうはさせない」と誓ったことばかりですから、当然、あなたは人からコントロールされそうだとか、自分の感情に直面しなければならないような状況から遠ざかります。
するとその結果、あなたのまわりでは次々に人が傷ついていくことになります。
あなたの心が傷ついている分だけ、まわりの人々の欲求にこたえるのがいやになります。でも、胸がはりさけるような悲しみや昔の傷、そして、あなた自身の欲求に対処していこうという気持ちが生まれると、まわりの人が傷つかないように敏感にこたえ、積極的にコミュニケーションをしたいと思うようになっていきます。
あなたの真実、本当にほしいものをコミュニケーションしてください。ほかの人たちの気持ちに敏感にこたえ、苦しい体験から抜けだすのを手助けし、応援してあげましょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.280
2.「自立」は傷を隠すけれど、傷を癒すことはない
「あなたが傷ついている分、まわりの人を傷つける」
なんか、この引用文のタイトルだけで、おなかいっぱいになりますよね…
それ以上の説明は、蛇足のような気もしますが笑、もう少し詳しく、その心理を見ていきたいと思います。
「自立」のハリボテで、「依存」の時代の傷を隠す
私たちの心は、「依存」から「自立」を経て、「相互依存」にいたります。
これまで何度も見てきた、心の成長プロセスのモデルですね。
人の心は、まずは「依存」の心理からはじまります。
生まれたばかりの赤子や、入学式のあとの学生、新しく入ったサークル。
「自分には何もできないから、誰かに何かしてほしい」という状態です。
しかし、その欲求が叶えられるかどうかは、相手次第であり、時にその欲求や願いが叶わず、傷つきます。
このように「依存」の状態で、何度もつらい思いをしたり、ひどく傷ついたりすると、私たちは「自立」しようとします。
「こんなつらい思いは、もうたくさんだ。誰にも頼らず、何でも自分でやろう」
そうして、自分でできることの範囲を、増やしていきます。
それはポジティブな側面ですが、一方で「自立」には影の面があります。
何でも一人でやろうとするゆえに、孤独を抱えやすい。
そして、「依存」の時代に傷ついた思いや、つらかった感情、心の痛みといったものを、まるでなかったかのように扱ってしまう。
いわば、「自立」とは、古い傷を隠したまま、その傷の前にハリボテの自分をつくることと言えるのかもしれません。
え? 私ですか…?
もちろん、とっても大きいけれどヤワなハリボテを、つくってきました笑
「自立」は傷を隠すけれども、それを癒しはしない
「依存」の時代に傷ついた痛みの分だけ、私たちは「自立」に振れます。
「超自立」的な人は、それだけ「依存」時代に、深く傷ついた経験があることが、多いようです。
そうした「依存」時代の、辛い出来事やみじめな思い、欲求が叶わなかった悲しさ…
そういったものを隠すために、私たちは「自立」します。
しかしその傷は、なくなるわけではありません。
「自立」は、「依存」時代の傷を隠すことはできるけれども、癒すことはないわけです。
これは、「自立」を考える上で、非常に重要な視点だと思います。
もともと、「依存」時代の痛みや傷がつらくて、「自立」していったわけですよね。
けれども、「自立」を深めていっても、その痛みや傷は、なくなるわけではない。
それどころか、この傷を隠さないといけないと、もっと「自立」に振れていったりする。
これは、結構しんどい負のスパイラルですよね。
3.傷が癒えていないと、依存的な人が許せなくなる
「依存」的な人が許せない?
さて、引用文にもある通り、ある程度「自立」していくと、人が集まってくることがあります。
「自立」するということは、自分でできることが増えていくわけですから、仕事の上なんかでは、「なんでもデキる人」のように見られたりします。
そうすると、多かれ少なかれ、人が集まってくるのは、想像がつくかと思います。
しかし、このときに問題が起きやすくなります。
人の関係性は、バランスを取ろうとします。
自分が「自立」に振れた分、集まってくる人は「依存」の性質を見せてきます。
そのとき、自分の「依存」時代の傷が癒えていないと、どうなるか。
それは、周りの人の「依存」的な面を見ると、その傷が疼くわけです。
自分が必死で抑圧した、その傷や痛みを、周りの人たちは簡単に見せてくるわけです。
自分自身が禁止していることを、サラっとやられることほど、腹が立つこともありませんよね笑
そうすると、「依存」的な人たちを、遠ざけようとしたり、いらぬ対立を引き起こしたりするわけです。
このように、依存時代の「傷」が癒えていないことは、人間関係において影を落とすようです。
自分を癒した分だけ、大切な人を癒すことができる
ここまで見てくると、「自分を癒した分だけ、大切な人を癒すことができる」という格言が、よく理解できますよね。
往々にして、愛情深い人ほど、自分の傷をほったらかしにしたまま、周りの人を助けにいこうとしてしまうのですが、なかなかそれはうまくいかないようです。
まずは、自分。
自分を癒した分だけ、大切な人に恩恵を与えることができる。
そして、自分を癒すということは、「依存」時代の古い傷や痛みと、向き合う勇気を持つ、ということです。
そのときの悲しみ、寂しさ、みじめな気持ち、誰かを笑顔にできなかったという痛み… そうしたものを無視せず、とても大切なものとして扱う、ということです。
その勇気は、必ず大切な人に、大きな大きな恩恵を与えてくれます。
そうしていくうちに、私たちは「自立」していく中で切り捨ててしまった、人とのつながりを取り戻していくのでしょう。
今日は、自分の傷や古い痛みと向き合う恩恵について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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