大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分に価値がないと感じると「犠牲」してしまうけれど、それは同時に「自分が前に出なくてもいい」というメリットがある。

「犠牲」とは、誰かのためという皮をかぶって、自分が幸せではない行動を取る心理であり、その底には「自分には価値がない」という想いがあります。

それはしんどいのですが、一方でそれは、自分が前に出なくてもいい、というメリットがあるからのようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.すべての自己犠牲は、無価値感である

もし私たちが自分自身の価値を認めていれば、十分にクリエイティブで、立場や自分そのものを捨てなくても解決に到達できることがわかるはずです。

 

なぜ犠牲になるのかといえば、「自分を捨てれば、ほかの人が私を前に運んでいってくれる」という幻想があるからです。

ほかの人の「自己」を自分のアイデンティティとして使おうとし、その人のためなら何でもしようとするのです。

 

「犠牲」は人をだまし、自分自身をもだましています。

相手からの贈り物を受けとることができず、真実の自分自身ではない、にせものを受けとらせるのですから。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.289

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2.「犠牲」の心理

今日のテーマは、「犠牲」でしょうか。

個人的な話ですが、この「犠牲」は私の慢性的な問題の一つです。

もう昔から大好きなんですよねぇ、「犠牲」が…笑
ということはさておき、その心理を見ていきたいと思います。

自分の価値が信じられないと「犠牲」に走る

「犠牲」とは、誰かのために、自分が幸せではない行動を取ることを指します。

そのため、やっていることはどんなにすばらしいことでも、当の本人には充実感や満足感、喜びはなく、徒労感や疲労が残ります。

また、その行動を誰かから褒められたり、認められたりしたとしても、まったく受けとることができません。

そうした「犠牲」の行動のもとになっているものの一つが、「無価値感」です。

「無価値感」とは、読んで字のごとく、自分には何の価値もないと感じてしまうことです。

自分には、何の価値もない。

だから、そこに価値を与えるために、外側から価値を与えようとしてしまう。

わかりやすいのは、学歴やブランド品、あるいは年収といった、社会や世間が価値を認めているものを、求めようとする心理ですよね。

そうした心理のほかに、今日のテーマである「犠牲」もでてきます。

自分には価値がないから、自分を捨てて「犠牲」することで、相手とのバランスを無意識的に取ろうとしてしまいます。

相手に認められることや、喜ばれることで、からっぽな自分自身を満たそうとするわけです。

ほかの人の「自己」を自分のアイデンティティとして使おうとし、その人のためなら何でもしようとするのです。

手厳しいですが、引用文にある通りですね。

「犠牲」をするメリットは、自分が前に出なくてもいいこと

さて、先ほど書きましたが、私もずっと「犠牲」大好きでした。

あ、過去形じゃないですね、いまも「犠牲」することは多々あります。

無価値感は、ずっと根強くもっていましたが、両親を立て続けに亡くしたことで、なおさら強くなったようには思います。

自分のアイデンティティというか、根っこの部分をなくしたからでしょうか。

だから、人と関わるときは、「犠牲」的にしか関われなかったように思います。

へりくだる、というわけではないのですが、「こんな私にかかわってもらえるのだから」という思いで、いろいろと「犠牲」的な行動をしてしまうわけです。

もちろん、結果として相手が喜んでくれることも、ありました。

けれども、受けとれないんですよね。

「犠牲」をすればするほど、「ちがうんだ、ほんとうの私は、全然価値がないんです」という想いが、どこかにあったのかもしれません。

かといって、「犠牲」という形をとる以外に、人と関わる形が想像できなかったりするんですよね。

…と、まあまあ「犠牲」は、しんどいものです。

それはそれとして、ものごとには、必ず両面があります。

「犠牲」はしんどいのも事実ですが、それをすることで、私が得ていたものもあります。

それを考えることは、「犠牲」をやめようとしたときに、非常に大切な視点になります。

「犠牲」をすることで、私が得ていたもの。

それは、自分が前に出なくてもいい、というメリットでした。

厳しい見方をすれば、「あの人のために」と言って行動していれば、自分を出さなくても済んだわけです。

自分が、前に出なくてもいい。

それは、引用文にもありますね。

なぜ犠牲になるのかといえば、「自分を捨てれば、ほかの人が私を前に運んでいってくれる」という幻想があるからです。

ほかの人が前に運んでいってくれる。

「犠牲」をしていた時分の私は、超自立でしたが、その内面には、こんな依存的な心理が隠れていました。

そういう見方をすると、「犠牲」をやめようと思ったときに、取れるアプローチの幅が非常に広がるわけです。

これは、「犠牲」に限らず、あらゆる問題で、非常に有効な考え方でもあります。

3.いいかげん、自分の価値を認めなはれ

なぜか、関西弁になってしまいました笑

「犠牲」について、つらつらと書いてきましたが、最後はシンプルです。

「犠牲」が「無価値感」からくるのであれば、その「無価値感」を癒すのが、最もシンプルなアプローチです。

あなたの素晴らしい価値を証明するのに、誰か他の人の価値を持ち出す必要はありません。

ただただ、自分には無限の価値があることを、信じること。

その価値とは、何かができるとか、何かをしてあげられるとか、そういったことが担保するのではありません。

根拠のある価値とは、その根拠が崩れたときに痛い目を見ます。

価値とは、何かの根拠や、何かを担保にするものではありません。

あなたがそこにいること

あなたがあなたでいること

それだけが、無限に価値があるものです。

そしてそれは、周りの人に与えられる、最高の贈り物です。

それを認めるのは、他の誰でもありません。

自分自身です。

これは、頭で「理解」しようとしても、難しいのかもしれません。

「ふーん、そうなんだ。どうやら私には価値があるらしい」くらいで、ちょうどいいのかもしれません。

そうしていくうちに、「犠牲」によって隠していた、自分自身を少しずつ前に連れだしていけるようになるのでしょう。

 

今日は「犠牲」について、少し掘り下げてみました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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