「親の期待に応えられなかった」という想いがあると、罪悪感や無力感を抱いてしまいます。
そう感じる裏側には、実は「親が自分の期待に応えてくれなかった」という不満があります。
そうした心理と、その葛藤の癒し方について、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.自分が両親の期待どおりでないと思うのは、両親があなたの期待どおりでなかったということ
多くの人が自分は親の期待にこたえられなかったと信じ、いつも自分には足りないところがあると感じています。
なかには完璧主義者になる人もいれば、いよいよ不十分だという気分にとらわれ、はては満足のいくことは何ひとつないとノイローゼになってしまう人もいます。
あなたは両親の期待どおりでないと信じているとすれば、本当は両親があなたの期待どおりではなかったのです。
あなたは彼らが親として十分でなかったと感じているのです。
あなたにこうした態度があるかぎり、両親の実際の言動がどうであれ、あなたは自分が両親の期待どおりの子供ではないと感じつづけることでしょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.369
2.「親の期待」の因果は、実は逆かもしれない
今日のテーマは、あるあるですよねぇ…
あれ?私だけですかね??タイトルを読んだだけで、すでに痛いのは笑
親との関係に限らず、自分自身のものの見方を広げてくれる視点だと思いますので、がんばってお伝えしてみたいと思います!
親の期待という呪縛
「親の期待」というのは、よく聞くフレーズですよね。
イメージしやすいのは、「いい大学に入る」「大きな会社に就職する」、「結婚して孫の顔を見せる」とかでしょうか。
はい、なんだかモヤモヤした感じのする話題です笑
私なんかも、両親ともに亡くしていますが、「いつも自分には足りないところがある」というのは、その通りだと感じます。
完璧主義ゆえに腰が重い気質も、そこからきているところがあるのかもしれません。
ただ、実際に親が期待をしているかどうかは、実はあまり関係がないのかもしれません。
その人自身が、「親から期待をされている」と感じているかどうか、の方が重要だからです。
そしてそう感じているときには、どれだけがんばったり、結果を出したりしても、「期待に応えられた」と感じることは難しいものです。
「期待」とは、決して満たされることのない心理だからです。
「期待は裏切られる」という格言が心理学にはありますが、その逆パターンといえるのかもしれません。
親が自分に期待していると感じる
↓
期待に応えることは原理的に不可能
↓
期待に応えられない自分自身を責める
=罪悪感、無力感を抱く
という図式ですね。
そして、罪悪感と無力感が、さまざまな問題を引き起こし、生きづらくさせるのは、ご存知の通りです。
かくも、親の期待というのは、私たちが生きる上で呪縛のようなものかもしれません。
かといって、「親の期待になんて、応えなくてもいい!」と言われても、問題は解決しません。
そもそも、今日のテーマに共感しない人は、最初から「親の期待」なんて感じていないのでしょうから。
「期待」しているのは、どっち?
さて、先ほど「親が実際に期待しているかどうかではなく、自分がそう感じているかどうかが重要」と書きました。
そうであるならば、「なぜ、親に期待されていると感じるのだろう?」という問いの方が、重要なようです。
言い換えるならば、「なぜ、自分が親の期待に応えられないと思うのだろう?」という問いです。
「期待」とは、欲求の表現方法を変えたものであり、それに100%応えることは不可能だからです。
少し、分かりづらい書き方になってしまったかもしれません。
もう少し端的に書くのであれば、「親が期待している」と感じるのは、「そもそも自分の中にある『期待』を映しだしている」ことと見ることができます。
自分の中に「期待している」という心理があり、それを親に「投影」している、という見方です。
これは、先日の「投影」をテーマにした記事でも書きましたが、めちゃくちゃわかりづらくて、めちゃくちゃ気づきにくいものです。
要は、自分の価値観、考え方、世界観を「投影」しているわけですから、普通にしていたら気づかないですよね。
それこそ、「天動説ではなく地動説だった」くらいのインパクトがないと、気づかないわけです。
私も、この手の「投影」はたっっっくさんしていますし、それがあることに気づいてすらいません。
だから、定期的にカウンセリングを受けたりして、「地球が動いていると見ることもできるよね」という見方を得たりするわけです。
…すいません、話が少しそれました笑
話をまとめると、「親に期待されている(そして、親に応えられていない)」と感じるということ。
それは実は「自分が親に期待している(しかも、親は期待に応えていない)」と感じていることを指し示しています。
自分が親の期待に応えられない自己否定と、親が自分の期待に応えてくれない不満。
この二つは、鏡合わせの心理なわけです。
その片方だけを見ていると、苦しさから抜けることは難しいのですが、もう一方を見ることができると、世界が広がります。
これは、「親の期待」という事象に限らず、非常にいろんな場面で活用できる見方です。
「あいつは、全然何もしてくれない!」と感じることがあったとして。
もしかしたら、「あれ?そもそも何もしていない、与えていないのは、実は私の方かもしれない…」というフィードバックができるわけです。
そうしたフィードバックは、私たちから相手に、世界にかける架け橋であり、つながりを生む一筋の光です。
とはいえ、イヤなものですよね…
「無理な期待をしていたのは、そっちじゃないか!」と言ってる方が、楽ですから。
私も、よくそんなふうに考えてしまいます笑
だから、まずは「ふーん、そんな考え方もあるのか」くらいでとらえる方がいいのかもしれません。
3.セルフイメージは、世界の見方の「投影」
最後に、こうした自己否定と不満の葛藤を、どうやって癒していくかについて、2つの視点からお伝えしていきたいと思います。
許しと手放し
一つ目は、王道です。
私のブログをよく読んでいただいている方には、耳タコかもしれません笑
「許し」と「手放し」です。
どちらも、同じようなニュアンスととらえていただいて構いません。
先ほど、「親の期待に応えられない」と感じるのは、「親が自分の期待に応えてくれなかった」という不満の裏返しと書きました。
そこには、親に対する不満であり、満たされなかったという痛みや傷があるわけです。
その不満や怒り、悲しみや寂しさを、まずは解放していきます。
親に対して、言いたかったこと、こうしてほしかったこと。
それを紙に書いてみたり、カラオケボックスで叫んでみたり、あるいはカウンセリングのような安全な場所で吐き出したりします。
そうして澱のように溜まっていた感情を成仏させていくと、親を理解する余裕が生まれてきます。
「あのとき、こうしてくれなくて、とても傷ついた」
「けれども、自分が親の立場だったら、同じことをしたかもしれない」
「どうしようもなかったし、誰も悪くない」
こうした感情的な理解を重ねていくごとに、心はとても軽くなっていきます。
最終的には、親が親であったことに対して、感謝ができるようにすらなります。
もちろんこれは、一日でできるようなことでもなく、また終わりがあることでもありません。
許している/許していない、手放せている/手放せていない、というようにスッパリ分けることも難しいものです。
「昨日はすごく許せていたのに、今日になって怒りがぶり返してきた」なんてことは、当たり前にあります。
また、100%許せるなんて、そうそうはできないことかもしれません。
けれども、「許し続ける」と決めることです。
「許しの道は一生続く」と言われることもあるくらいです。
すぐに許せなくても、全然いいんです。
「許し」という選択肢がある、と知っておくだけでも、違うと思いますから。
期待に応えようとしたことに、価値を見る
もう一つの視点は、私がよくカウンセリングでお伝えする視点です。
それは、そもそもの「期待に応えられなかった」という想いに、価値を見ることです。
「期待に応えられなかった」という想いの裏側には、何らかの「期待に応えてくれなかった」という痛みや傷があります。
そこと向き合っていってもいいのですが、そもそもの悩み自体に、価値を見る見方です。
「期待に応えられなかった」という想いの根本には、「期待に応えたかった」という想いがあります。
「期待に応えてくれなかった」という想いの根本には、「期待に応えてほしかった」という想いがあります。
なぜ、そのような想いを抱くのか。
なぜ、その想いを後生大事に抱えて、誰もがしたくない自己否定や、罪悪感や無力感に耐えることを選ぶのか。
そこを、見にいくわけです。
その答えは、もちろん一つしかありません。
「大好きだったから」
「大切だったから」
「笑顔でいてほしかったから」
「愛しているから」
…あ、一つじゃなくなってしまいました笑
その根底には、必ず愛があります。
罪悪感を抱くのも、無力感に陥るのも、期待してしまうのも、期待に応えられないと感じるのも…ぜんぶぜんぶ、根底に愛があるから、ではないでしょうか。
その愛の偉大さ、尊さ、美しさに、フォーカスしてみませんか、というのが、二つ目の視点であり、私がカウンセリングでいつもお伝えしているところです。
その愛とつながると、心にあたたさが戻ってきます。
やわらかさと力強さも、また宿ってきます。
その愛とつながってしまうと、問題は問題でいられなくなります。
もちろん、一度つながっても、そこから外れてしまうこともあります。
けれども、大丈夫なんです。
そのつながった感覚を、必ず心は覚えていますから。
「期待に応えられなかった」と感じることそのものに、価値を見る視点。
ご参考になりましたら、幸いです。
今日は、「親の期待に応えられなかった」と感じる心理を、少し深く見てみました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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