大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「エゴ」との付き合い方を通じて、自分を深く愛することを知ることができる。

「エゴ」とは、傷ついた自分の心であり、自分を幸せから遠ざける自己否定の象徴ともいえます。

けれども、なぜそれが生まれたことを考えることを通じて、自分を深く愛することを学ぶことができます。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.エゴは一体感をはばむ

一体感は、協力とつながりと相互支援によってはたらきます。

それに対して、エゴは自分のためだけに欲求を満たそうととして、わずかな持ち分をためこみ、へだたりを主張し、あるぶんやでだれよりも自分が多くを手に入れようとします。

 

へだたっているほど痛みを感じ、問題を経験し、欲求を感じます。

エゴはあなたの安全を守ったり自己概念を築きあげるために、多くの役にたたない勤めをあなたにさせようとします。

ところが、そのすべてが時間の無駄なのです。

「私がだれであるのか」ということは、築きあげる必要のないものであり、もっと本質的で完全なものだからです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.425

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2.「エゴ」の心理

今日のテーマは、「エゴ」でしょうか。

「自我」ともよばれる、私たちのなかにある傷ついた心について、見ていきたいと思います。

心理学における「エゴ」

「エゴ」というと、日常生活のなかでも使ったりしますね。

「あの人はエゴが強い」とか、「その言動はエゴイストだ」といった使われ方をしたりします。

そうした文脈では、「自分勝手」とか「身勝手」とか、「自意識が強い」とかいった意味合いで使われることが多いものです。

そしてそれは、どちらかといえばネガティブであり、「身勝手で迷惑をかける」といった意味合いで使われることが多いようです。

しかし、心理学においては、少し意味合いが異なります。

心理学における「エゴ」とは、「傷ついた心」のことを指します。

私たちは、生まれてから成長するまでに、多くの傷つく経験をします。

そうした体験を経て、「もう、二度とこんな思いはしたくない」とばかりに、自分の心を守るような人格をつくるようになります。

たとえば、自分がとても信頼していた人に裏切られたとしたら。

「こんなに信頼するから、裏切られたときが辛いんだ」

「だったら、もう人を信頼しない方がいい」

「自分も相手を信頼しないし、どうせはじめから自分は人から信頼されない人なんだ」

そう思い込むことで、その裏切られた傷を、二度と味わうことのないように、自分の心のなかに否定的な人格をつくりだすことがあります。

これが、「エゴ」です。

「エゴ」は、さかんに自己否定・自己嫌悪をさけぶ

それゆえ、「エゴ」の声は、自己否定・自己嫌悪のオンパレードになります。

「どうせやっても、無駄だよ」

「誰もお前のことなんて愛してくれないから、ひっそりと生きるんだよ」

「そんなことしたら、浮いちゃうし、嫌われるぞ」

…などなど、一度は脳内で聞いたことがある、おなじみの声です笑

言うまでもなく、こうしたささやきは、自分を罪悪感まみれにしたり、無力感の沼に沈めたりします。

それによって、わざわざ自分を幸せや、つながりから遠ざけることになってしまったりします。

あえて幸せではない方向に自分を導いたり、自分を傷つける行動をさせたり、自暴自棄にさせたりと、「エゴ」がはたらくと、そうした方向に自分をもっていってしまいます。

エゴはあなたの安全を守ったり自己概念を築きあげるために、多くの役にたたない勤めをあなたにさせようとします。

まさに、引用文の通りです。

このように、心理学の世界では「エゴ」は悪者であり、また私たちの弱い心の象徴でもあります。

その声に従っていると、私たちは周りのたいせつな人とのつながりを感じることができません。

つながりが切れた孤独感、痛みといったものに苛まれてしまいます。

ある意味でそれは、一般的な「エゴ」の「身勝手」という意味と、近いのかもしれません。

3.「エゴ」を感情的に理解する

さて、そうした「エゴ」の声がやかましく頭の中で響いていると、なかなか自分が幸せになる選択や、誰かとつながりを持つことが難しくなるものです。

だからといって、「エゴ」の声を無視しようとしたり、消そうとしたりしても、なかなかうまくいかないことが多いものです。

「自己否定をやめよう」と思っても、すぐはやめられないように。

それは、「ピンクの象をイメージしないでくださいね」と言われたら、否が応でも「ピンクの象」が頭の中に浮かんでしまうようなものかもしれません。

「エゴの声に従わない」としようとすると、「エゴの声」に意識が向いてしまうものです。

 

そこで考えたいのは、「エゴを消したり、否定したりする」ことではなく、「なぜエゴが生まれたのか」ということです。

言ってみればそれは、「エゴ」の人格を「感情的理解」をしようとする、といえます。

「許し」にいたる過程の一つに、「感情的理解」というものがあります。

相手の感情面から理解をしようとすることを指します。

「あの状況だったら、自分自身も同じことをしていたかもしれない」

そうすることで、相手の正誤善悪という判断から逃れ、「それも、仕方がなかったんだ」という理解にいたることができます。

「エゴ」対して、そうした「感情的理解」を差し向ける、という感覚でしょうか。

それが、「エゴ」とうまく付き合うことの第一歩といえます。

そのためには、「なぜエゴが生まれたのか?」ということに、想いを馳せてみることがとても大切です。

「エゴ」の源泉には、とても傷ついた経験がある、というのは先ほどお書きしました。

そうした傷ついた自分を守るために、「エゴ」という自我が生まれるとするならば。

「エゴ」とは、自分の心の防衛機能とも言えるのでしょう。

そして、その傷ついた経験が、深ければ深い分だけ、そうした経験を重ねた分だけ、「エゴ」の声も大きくなっていきます。

そうした「エゴ」を、むげによくないもの、悪いもの、なくすべきもの、と考えるのは、一面的なとらえ方なのかもしれません。

「エゴ」の声とは、無くすべきものではなく、それを戦うべきものでもなく、憎むべきものでもなく。

それを許し、受け入れ、愛することが、大切なことといえます。

「私を守ろうとしてくれていたんだね。ありがとう」

それは、自分の弱さ、自分の闇、自分の欠点を扱うことと、似ているのかもしれません。

「エゴ」を感情的に理解し、それを愛すること。

それは、深く自分を愛することと同じことのようです。

 

今日は、「エゴ」というテーマで、お伝えしました。

「これはエゴの声だ」と、自覚することが、一歩目です。

そして、その「エゴ」を消そうとしたり、なくそうとしたりするのではなく。

自分を守ろうとしてくれたことに理解し、感謝すること。

「エゴ」との付き合い方を通じて、私たちは深く自分を愛することを学べるようです。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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