大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

どんなときでも、できることがある。たとえば、だれかを「祝福」すること。

どんなに沈んでいても、自分がちっぽけだと感じたとしても。

私たちには、できることがあります。

それはたとえば、誰かを「祝福」することです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.祝福を与えるたびに、あなたが祝福される

だれかが最高の状態になるように祈ったり、だれかに愛を与えるたびに、私たちは気分がよくなります。

だれかを助けるたび、あなたが与えた助けと相手の経験した癒しが、あなたの人生に加えられていくのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.407

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2.愛するように、祝福する

今日のテーマは、「祝福」です。

「祝福」という心理や理論があるわけではないのですが、誰にでも備わった偉大な力だと思います。

祝い、幸い

「祝福」とは、いい言葉ですね。

「祝」は文字通り相手を祝うこと、そして「福」は幸い、幸せを意味します。

相手の幸運や幸せを祝うこと、あるいはそれらを祈ること。

そう願うとき、私たちはまた、自分自身が祝福されているように感じます。

先日、「与える」をテーマにした記事でも、同じようなことを書きましたが、私たちは「与えている」とき、満足感と充実を感じることができます。

それは、愛することと、とてもよく似ています。

もちろん愛されることもは喜びですが、愛することは、それ自体が大きな喜びです。

誰かを愛おしく想うこと。

その人の笑顔を思い出すこと。

その人の歩んできた道を、愛でること。

そうすることができたとき、私たちは非常に大きな喜びを感じることができます。

「祝福」もまた、同じです。

誰かの最高の幸せを祈ることができたとき、私たちは自分自身もまた大きな喜びを受けとります。

「祝福」とは、愛することと同じように、人に与えられた偉大な力の一つです。

だからといって、祝福できない自分を責める必要もない

人を愛すること。

人を祝福すること。

人に与えること。

それらは、私たちの本質です。

しかしながら、人を憎んだり、恨んだり、僻んだり…そうしたことをすることがあるのもまた、人間です。

でも、だからといって、それは私たちの本質ではありません。

「そうすることがある」ことと、それが本質であるかどうかは、まったく別の話ととらえていいのだと思います。

身近な人の成功や幸せを、喜ぶことができないとき。

そのことで、自分自身を責める必要はまったくないのだと思います。

「許し」でも、同じようなことを書いたような気がするのですが。

「許せない」と感じたとしても、その「許せない」自分自身を、責めなくてもいいんです。

なぜ、責めるのか。

それは、「許そうとしているから」だと思うのです。

自分にとって難しい相手を、「許そう」とした。

そのことだけで、もう十分なのかもしれません。

その上で、「許せない」ことで自分自身を責めるのは、自分いじめになってしまいます。

同じように。

誰かを「祝福」したくても、できないとしても。

それは、なんら自分自身を責める必要はありません。

その苦しさは、あなたがその人を「祝福」しようとしているからこそ、だからだと思うのです。

夜空に浮かぶ月は、欠けることもあります。

けれども、その欠けることが月の本質かといわれれば、決してそうではないはずです。

日によって欠けたり、あるいは新月のように見えなかったとしても。

月は、そこにあります。

そしてまた満ち、幽玄な光をたたえることでしょう。

3.どんなときでも、できることがある。

どんなに沈んだときであっても。

どんなに自分が無力に感じるとしても。

どんなに自分がちっぽけだと感じたとしても。

どんなに深い暗闇に投げ出されたとしても。

人には、できることがあります。

それが、「祝福」です。

誰かの幸せを願い、愛を贈り、その幸福のために、祈る。

そうすることは、あなた以外の誰にも止めることはできません。

どんなときにも、「祝福」することができます。

相手に、「祝福」を与えることができます。

あなたは、そんなことは意味がないと思われますか?

とんでもない!

いま、この刹那、この世のどこかで、あなたのことを「祝福」してくれている人がいる。

それは、意味のないことでしょうか。無駄なことでしょうか。

そうではないと思います。

いま、この瞬間、同じ時間で呼吸をしている誰かが、あなたことを「祝福」している。

同じように。

いま、この瞬間、同じ時間に生きている誰かに向けて、「祝福」を贈る。

それは大きな喜びであり、また生きる意味でもあります。

どんなときでも、できることがあります。

たとえば、だれかを「祝福」すること。

相手の幸せを祝うこと、祈ること、愛を贈ること。

「もう自分には何もできない」

そう感じたとき、それでもなお心に浮かぶ何かがあります。

「それでも」

「それでも、あの人の笑顔を、祈ろう」

「あの人の幸せを、祝おう」

その想いが浮かんだとき、私たちの心は、平穏を取り戻します。

荒れ狂う嵐は過ぎ去り、水平線まで見通せる凪が訪れます。

「祝福」するたびに、私たちは誰かを癒します。

「祝福」するたびに、私たちの生は輝きを帯びます。

「祝福」するたびに、世界は微笑みます。

「祝福」とは、そんな偉大な力を持っています。

 

今日は、「祝福」についてお伝えしました。

ずいぶんと感覚的なお話になってしまいましたが、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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