大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「慢性的な問題」を考えるときに大切なのは、自分なりの付き合い方を知っておくこと、そしてその裏側にある才能は何か?という視点。

何度も繰り返される、「慢性的な問題」。

そうした「慢性的な問題」との付き合い方と、そこから見える才能という視点について、考えてみます。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.どんな関係にも慢性的な問題がある

関係における慢性的な問題とはまるで「がらくたの物置」のようです。

そこには誤解や不平不満、連絡のすれ違いなど、すべてがつまっていて、手をかける必要のあることは、みんなそこにあらわれます。

コミュニケーション、お金、セックス、うまくいかないこと、健康上の問題など、どんなことも二人の関係の問題の症状という可能性があるのです。

 

ですから、その慢性的な問題がどんなものであれ、絶望しないでください。

どんな関係も、何かしらの分野で未完了の問題を「物置き」として選ぶのです。

ただし、これもその関係でつながっていない多くの分野の一症状にすぎないことを知っておきましょう。

パートナーとつながっていくにしたがい、こうした慢性的な分野も少しずつ前進するのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.429

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2.「慢性的な問題」について

今日のテーマは、「慢性的な問題」です。

腰痛、肩こり、頭痛、胃痛…身体面ではわかりやすいですが、心のなかにも慢性的な問題があります。

何度も何度も繰り返すパターン

誰にでも、何度も繰り返す問題のパターンというものがあります。

「あぁ、またこれか…」とため息をついてしまうような問題。

それは、いろんな形で出てくるものです。

  • いつも一人で抱え込んでパンクしてしまう
  • 上司や年上の人と、いつも対立してしまう
  • どこの組織や集団にいても、孤独を感じる
  • 自分の考えはいつも誤解されて、損をする
  • 自分を大切にしてくれない人を好きになってしまう
  • いつもお金がギリギリでヒヤヒヤする
  • 言いたいことをいつも我慢してしまう
  • 成果が出そうになると、とたんにやる気がなくなってしまう
  • いつも相手に尽くす側で、疲れてしまう

…などなど、さまざまな形で、こうした慢性的な問題は現れるものです。

私の場合は、「自分ひとりで抱え込む」「相手からの愛を受けとれない」「人を頼れない」「そのくせ孤独は人一倍」あたりでしょうか。

はい、もう長年お付き合いしている腰痛のように、お世話になっております…

もし「自立ポーカー」があったら、フルハウスか4カードになれるかもしれません笑

こうした「慢性的な問題」は、ずっと本人が自覚している場合もあれば、何らかのできごとをきっかけに気づく、という場合もあります。

いずれにしても、「慢性的な問題」というのは、それだけ私たちの内面と、ひいては人間関係に大きな影響を及ぼすものです。

未完了の感情と、がらくた置き場

さて、こうした「慢性的な問題」は、身近な人との関係性において、色濃く出てくることが多いものです。

最たるものが、パートナーシップですね。

パートナーがいつも同じような問題で悩んでいるとしたら、それは自分自身の問題を見せてくれていたりします。

あるいは、お互いが相手の問題を解決するのに、必要なものを持っていたりします。

多くの場合、それは対立や葛藤として現れますが、そこで解決すべきは、自分の内面の問題だったりするものです。

その問題とは、言い換えれば「未完了の感情」です。

見るのがイヤで、そっとフタをしてしまいこんでしまった感情。

感じるのが怖くて、抑えつけてしまった感情。

もう二度と感じたくないから、隠してしまった感情。

そうした感情を、私たちは心のどこかにしまいこんでしまうものです。

今日の引用文では、「がらくたの物置」という表現をしていますが、まさにそのような暗い部屋に押し込んだ感情が、「慢性的な問題」の原因の一つになっているものです。

そして、パートナーシップにおいては、二人の共通の「がらくたの物置」があったりします。

そこには誤解や不平不満、連絡のすれ違いなど、すべてがつまっていて、手をかける必要のあることは、みんなそこにあらわれます。

まあ、手がかかるものは、後回しにしたくなるのが人情ですよね笑

普段はそこにポイポイと投げ込んで、しまいこんでいるのですが、あるときその「物置」があふれて「ドンガラガッシャーン!」となったりするわけです。

そこでようやく、「おぉ…いいかげんに、整理しないとな…」となるわけです。

問題が表面化することで、自分の心と向き合わざるをえない状況ですね。

それは突然現れたわけでもなく、ずっとあったけれど、見て見ぬふりをしてきただけのことなわけです。

ただ、それが現れたからといって、ネガティブに考える必要もありません。

その慢性的な問題がどんなものであれ、絶望しないでください。

引用文にもありますが、絶望する必要もありません。

それが出てきたら、またケアをすればいい。

胃腸が弱い人、偏頭痛になりやすい人、すぐ腰が痛くなる人…そうした身体の慢性的な問題を持っている人は、その付き合い方を知っているはずです。

「ちょっと胃腸が疲れてるから、今日は軽めにしておこう」

「今日は頭痛が来そうだから、痛み止めを持っておくか」

「最近少しオーバーワークだから、早めに整体に行っておこう」

心の内面における「慢性的な問題」も、それをなくそうとするよりは、どうやったらうまくつきあっていけるのか?を考える方がよいのでしょう。

自分なりの付き合い方を知っておく

「慢性的な問題」と、どう付き合っていくか。

まずひとつには、その問題が出る形と、それをケアする方法を知っておく、ということでしょうか。

「こめかみのあたりがピクピクしてきたら、早めに休む」

「低気圧が近づいてきたら、頭痛薬を準備しておく」

なぜか、頭痛の例ばかりになってしまいました笑

もちろん、いつもそれが100%できるわけではないと思いますが、それを持っておくだけでも違うものです。

自分の心の内面においても、同じです。

何らかの不調のサインが、人それぞれであると思います。

私の場合は、「人の集まりに参加するのが億劫に感じる」でしょうか。

そうしたときに、「あ、またきたな。そろそろ、やっとくか」みたいに、何らかの方法を持っておくと、心の不調がひどくならずに済みます。

その方法は、人それぞれで違います。

「気の知れた友人とパーっと飲みに行く」が効く人もいれば、「一人静かに温泉に浸かる」がいい人もいるのでしょう。

私の場合は、一人の時間を持つことと、その上でカウンセリングを受ける、というのが今のところ効くようです。

それは、自分の愛し方を知っておく、ということでもあるのでしょう。

「慢性的な問題」なのだから、どうせ何度も出てくるものです。

だから、その付き合い方を知っておくというのは、とても大切なことだと思うのです。

3.問題の裏側にある才能

「慢性的な問題」は、その付き合い方を知っておくこと。

それが、まず大切なことといえます。

その上で、「なぜ自分にとって、それが慢性的な問題なのか?」という視点を持つことは、非常に大切なことを教えてくれます。

「問題の陰に才能あり」とは、これまで何度も出てきた格言ですが、その人が何を「問題」だと感じるのかは、その人の才能を正確に教えてくれます。

その問題が「慢性的な問題」であれば、もうその人の才能の輝きそのものなわけです。

傷ついている人に惹かれてしまうのは、人を癒す才能があるからです。

孤独を感じることができるのは、人と人をつなぐ才能があるからです。

豊かさを感じる才能があるからこそ、お金の問題に悩むわけです。

人を導くリーダーシップやカリスマがあるからこそ、いつも浮いていると感じます。

誰かの居場所をつくる才能があるからこそ、ずっと居場所がないことに悩みます。

「えぇ?それはないわー」と思われるかもしれません。

「そんな才能があったら、こんなに苦労していないよ」と思われるかもしれません。

けれども、「そうかもしれない」と思っていただけるだけで、変わるものが確かにあります。

だから、「慢性的な問題」があったとしたら、それをどう治していくか?どう消していくか?という方向で考えることは、私はあまりおすすめしません。

それよりも、「それが才能だとしたら、どうやったらそれを活かせるだろうか?」と考えることができると、ずいぶんと世界は違って見えます。

鍵になるのは、「誰に与えたいか」です。

あなたに、豊かな才能があったとしたら。

それを、誰に与えたいでしょうか。

それを使うことで、誰を笑顔にしたいでしょうか。

「慢性的な問題」を考えるときに、ぜひ持っておきたい視点です。

 

今日は、「慢性的な問題」というテーマでお届けしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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