「エゴ」とは傷ついた心のことを指し、それゆえに私たちの歩みを止め、身動きを取れなくしてしまいます。
だからといって、「エゴ」を否定するのではなく、それを理解し、許し、愛することができると、その声は徐々に小さくなっていきます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.愛はあなたに妨害をさせない
エゴとは、自分が孤立しているという信念のかたまりです。
エゴはあなたと人を隔絶させ、神とのコミュニケーションを断絶させます。
エゴとはあなたの怖れであり、不確かさです。
怖れと不確かさが外の世界に表現されるほど、あなたの成功は妨害されます。
深層意識のあるレベルでは、それはエゴの望むところです。
エゴはあなたに必要不可欠だと思われたくて、前進するのを遅らせようとします。
ところがエゴとはあなたの心のほんの小さな一面にすぎず、ただ不可欠だというふりをしているだけなのです。
愛は、私たちが自分の邪魔をするのをやめさせます。
愛は私たちに、怖れとかたくなな反応を超越させて自由に受けとれるようにしてくれます。
愛は心配や悩みを越えた高みに引きあげ、ふれあいとよろこびを感じるやわらかな感応力をもたらします。
愛はおのずと伝わり、みずから広がり遊ぶのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.446
2.「エゴ」の声は、なぜ大きいのか
今日のテーマは、「エゴ」でしょうか。
私たちが前に進むのを阻む困りものですが、その心理と付き合い方について感が手見ます。
「エゴ」は私たちの心のコンパスを曇らせる
心理学における「エゴ」とは、「傷ついた心」のことを指します。
深く傷ついたがゆえに、「もう二度とこんなことはしたくない」とばかりに、自分の心をガチガチに守るためにつくったものといえます。
私たちは生きていく中で、多くの傷つく経験をします。
そうした経験によって感じた心の痛みを、二度と感じることのないように、私たちの心にブレーキをかけるのが、「エゴ」の声です。
「エゴ」の声は、私たちの歩みを遅らせ、身軽さを奪い、孤立させ、そして私たち自身を否定しようとします。
しかしそれは、私たちが傷ついたことから、身を守ろうとしているはたらきでもあります。
「人を信用したら、ひどい裏切りにあった。だから、もう人を信用しない方がいい」
「目立つポジションにいたら、陰口をたくさん言われた。もう、目立たないようにした方がいい」
「やれると思っていたら、みじめな失敗をしてしまった。自分はできない人間だと思っておいた方がいい」
…などなど、さまざまな傷ついた経験から、私たちは自分を否定する観念=「エゴ」の声を強化していきます。
そして、「もう一度、信用してみようかな…」と自分の心が動いたとしても、「お前、あんなに傷ついたの忘れたのか?思いだせよ、あの痛みを!」と、「エゴ」は騒ぎ立てるわけです。
「あれがやってみたい」と感じたとしても、「は?お前なんかができると思ってんの?思い上がりもはなはだしい!」とおさえつけてくるわけです。
私たちの心は、コンパスのようなものです。
自分にとって何が必要で、どちらに向かうべきなのか。
私たちの心は、それを感じ取ることができます。
心惹かれる、ワクワクする、テンションが上がる、ドキドキする。
しかし、何度も何度も「エゴ」の声にやられて、辟易としてしまうと、「もう、感じるだけ無駄だ」「もういいよ…」となってしまうものです。
「エゴ」の声は、心のコンパスを曇らせてしまうものです。
「エゴ」の声は、なぜ大きいのか?
なかなかに厄介な「エゴ」の心理について、見てみました。
そうした「エゴ」の声は、先に上げた心のコンパスが示す声よりも、ずっと大きいものです。
なぜ、それが大きいのかについて、少し考えてみたいと思います。
それを考えることによって、「エゴ」との付き合い方が見えてくるからです。
結論から書くと、それは「自分を守るため」だから、と見ることができます。
たとえばですが。
道を歩いていたら、車道にふらふらと人が飛び出しそうになったのを見たら、どんな反応をされますか?
そうですよね。
「あっ!あぶない!!」
と、めっちゃ大きな声で叫ぶと思いません?
だって、誰かが危ない目に遭うのは、見たくないじゃないですか。
もしそれが、見知らぬ他人ではなく、自分にとって大切な人だったら、なおさらだと思います。
「エゴ」の声も、それと同じようなものです。
その声が大きいのは、「自分を守るため」に、必死になって大きな声で私たちに教えてくれようとしているのかもしれません。
「そんなことしたら、ダメだよ!」
「また、痛い思いするよ!」
「もう、あんな思いしたくないでしょう?」
「エゴ」の声は、必死にそれを教えようとしてくれている、と見ることができます。
だからこそ、あんなにも「エゴ」の声は、大きいのでしょう。
そう考えていくと、「エゴ」に対する付き合い方、接し方が少し変わってくるかと思います。
3.「エゴ」に理解と許しを
無理に否定しようとすると、かえって強くなる
「エゴ」は、私たちの歩みを止め、身動きを取れなくして、孤立させます。
しかし、だからといって、「エゴはあかん」「エゴは消さんと」「エゴなんていらない」と考えるのは、かえって「エゴ」の声を大きくしてしまいます。
「お前にはそんな大それたことできないよ」
という「エゴ」の声に対して、
「そんなことないもん!」
と返したとしても、
「ほんとか?だっていままでの黒歴史を思い出してみろよ」
「ぐぬぬ…でも…」
などといった会話がぐるぐると頭の中を堂々めぐりしてしまうものです。
これは、「自己否定をやめよう」と頭で考えてみても、なかなか難しいことと似ています。
「自己否定をできない自分」を否定してしまうという、悲しい負のスパイラルに入ってしまい、さらに自己否定が強くなってしまうように。
はい、わかってても、やってしまいますよね、このスパイラル。。。
「エゴ」の声も、同じです。
それを「あかん、あかん」「消そう、消そう」とするほどに、その声の力が強くなってしまうものです。
必要なのは「感情的理解」と「許し」
では、どうしたらいいか。
一つの方向としては、そうした「エゴ」の声を「理解」することです。
先ほど、「エゴ」の声が大きいのは、私たちを守ろうとしているから、と書きました。
昔、痛い目に遭ったから、もう二度と同じ目に合わないようにしてくれている。
そこを、「理解」しようとしてみることです。
「そうだよね。前に、とっても痛い目に遭ったもんね」
「同じ目に合わないようにしてくれているんだね、ありがとう」
「エゴ」を敵視するのではなく、それを感謝し、手放していくイメージです。
そうした「理解」を示すためには、その痛みを負った過去の自分に寄り添う必要があります。
手ひどく裏切られた自分。
心底惚れ込んだ恋人に、フラれてしまった自分。
チャレンジしたけれども、思うような結果が得られなかった自分。
そうした自分に寄り添うこと。
その心情を理解しながら、その自分を許していく。
「あなたは何も悪くないよ」
「あの状況だったら、それは仕方ないよ」
「よく、がんばったよね」
それで、いいんです。
「エゴ」の声が大きくて、前に進むのが怖いとき。
「エゴ」自体を否定しようとすると、その根っこにある過去の傷ついた自分をも、否定してしまうことになりかねません。
傷ついたうえに、さらに「そんなお前は、ダメなんだ」と否定されたら、悲しくて悲しくて、仕方なくなっちゃいますよね。
そうではなくて、その傷ついた自分を理解し、許す。
そうすることで、「エゴ」の声は、少しずつその音量を下げていきます。
愛は、私たちが自分の邪魔をするのをやめさせます。
引用文のこの部分は、そんなイメージのようです。
「エゴ」を否定したり、やっつけたりするために、「愛」はあるのではありません。
「愛」とは、「エゴ」すらも包んで、許していくことができる、完全なものです。
今日は、「エゴ」の心理と、その付き合い方について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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