大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「「許せない」という思いを手放したとき、ものの見方が変わる」

「許せない」誰かがいることは、とても辛いものです。

常にその人が意識から離れずイヤな気持ちになりますし、その人を責める罪悪感にも囚われてしまいます。

その見方を変えることを「許し」といいますが、実際にするとなると難しいものでもあります。

いきなり「すべてを許そう」とせず、少しずつ「許し」に至るマインドをお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「許せない」という思いを手放したとき、ものの見方が変わる

ある状況を別の見方で見ることができたとき、あなたにとってその状況はまったく別のものとなります。

どんな状況もそのまま認め、相手を許したとき、癒しが起こります。

癒しとは認識のしかたを変え、状況を新しい光のもとで見ることなのです。

 

許すことで、あなたはまず、自分がはまりこんでいた「被害者」という立場から解き放たれます。

さらに、その状況よりも一段上の場所から、生きることができるようになります。

するとあなたにとって、状況そのものが一変してしまうのです。

 

「これで許してしまったら、余計ひどい目にあって、かえって犠牲的な立場から抜け出せなくなるのではないか」と怖れる人もいます。

でも実際は、許すことで人間関係のパターンが変わるのです。

 

自分がゆきづまっているとか、だれかにわずらわされていると感じたときこそ、許すことが求められているのです。

あらゆる問題は、すべて私たちが変化を怖れ、避けようとするために起こります。

しかも、その怖れは罪悪感におおい隠されているのです。

「許し」は、こうした罪悪感と怖れの外へとあなたを連れだしてくれます。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.11

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2.「許し」の持つ力と、その恩恵

許すことで見方が変わり、癒しが起こる

「許し」とは、引用文にある通り、ものごとや状況を、そのままに認め、主体的に受け入れることです。

それは、ものの見方をポジティブに変えることができます。

よくあるのは、自分がそれまでとは逆の立場になったとき、相手を理解することですね。

フラれた立場になったとき、
親の立場になったとき、
チームをまとめる立場に立ったとき、
・・・それ以外にも、いろんな場面がありますね。

あぁ、あのときあの人は、こんな気持ちだったのか、と。

そうして、これまでと違った角度からものごとに光を当てると、そこに「癒し」が起こります。

ここで何度も書いていますが、「癒しとは、ものの見方を変えること」ですね。

そのようにして「許し」が起こると、大きな大きな恩恵が生まれます。

それは、被害者の立場から解き放たれ、自由に生きられるようになることです。

許せない人を責める罪悪感から、解放される

許せない人がいると、必然的に自分自身を「被害者」の立場に置くことになります。

少しエグい話なのですが、「被害者」の立場は、都合がいいこともあります。

悪いのは加害者の側ですから、自分が責任を取らなくてもいいのですよね。

「思い通りにいかないのは、あの人が悪いからだ」と。

それは、ある意味で楽な状態です。

相手に任せていればいいし、何も自分が決めなくてもいい。

はい、私も長いこと、その「被害者」のポジションにいたから、分かります笑

しかしその状態は、すべてが相手任せで、受け身になってしまいます。

もちろん、そう思ってしまうのは、それだけのことがあったからではあるのですが・・・

そして、最もキツいのは、許せない相手を責めることで、罪悪感を抱いてしまうことです。

誰かを責めた罪悪感は、毒のように自分の心を静かに蝕んでいきます。

その罪悪感は、幸せや喜びから自分を遠ざけようとします。

この罪悪感が、許せない人がいることの最大の問題かもしれません。

言うは易し、しかし行うは・・・

私がカウンセリングを学んだ根本裕幸師匠は、「『許し』と『手放し』だけ理解しておけば、あとはなんとでもなるでー」と仰られていました。

それくらい重要な概念ですが、頭で理解をするのは、そんなに難しくありません。

1.起こっている状況や事実を、ただそのままに見つめる。

2.それを、主体的に受け入れる。

3.すると、ものの見方が、いままでと変わる。

4.被害者の立場を抜け出し、自由に生きられるようになる。

言葉にしてしまえば、ただこれだけのことです。

ただ、それを自分事として実際に肚落ちして「許す」となると、とたんに難しくなります。

「でも、だって、あの人は、あんなひどいことを・・・」

「これで許したら、自分だけ損した感じがする」

そんな風に思ってしまうのは、当たり前のようにあることでしょう。

「許すと楽になる」「許さないといけない」「許した方がいい」など、頭で分かっていても、心がどうにもついてこない。

そう思うことも、普通にあると思います。

そして、許せないことで、自分を責めなくてもいいのだと思います。

3.目標や理念としての許し

100%でなくていい

以前にもこちらの記事でお書きしたのですが、心理学を知ることで、かえって自分を責めて辛くなってしまうのは、悲しいことです。

「許し」自体は、素晴らしい概念であり行為です。

けれども、それができないことで、自分を責めたりしては、本末転倒だと思うのです。

「許し」とは、決して0か1かの世界ではなく、色のグラデーションのように見ることもできます。

そして、それは毎日、毎時、毎瞬、移ろいゆくものです。

朝はだいぶくすんだ灰色だったけど、いまは白みの強い灰色だな、とか。

ある意味で、100%許すなんていうのは、生きているうちにはなかなか難しいのかもしれません。

だって、わたしたちは不完全で、有限な、生身の人間なのですから。

けれども、少しずつそこに至るように、向かっていくことはできるわけですね。

少しずつ、一歩ずつ、時には後戻りしながら、でいいと思うのです。

「許し」という世界は、たしかに有る。

けれども、いま100%でなくてもいい。

私のカウンセリングでも、許せないことを責めたりすることはありません。

許せないほどの、悲しい、辛いことがあったという事実を、ただ見つめたいと思っています。

許せない自分に気付けたら、それでいい

「許し」に至る道は、一生続いていく道なのかもしれません。

私たちはいろんな人と出会う中で、時に許せない人と出会います。

しかしながら、どんな人にとっても、最も許すことが難しく、それでいて最も許さなくてはいけない三人衆がいます。

父親、母親、そして自分。

それ以外の許せない人は、ある意味でこの三人衆のダミーなのかもしれません。

私はすでに両親を亡くていますが、それでも変わりはありません。

まだまだ、道半ば、といったところです。

しかし、この3人を少しでも許すことができたら。

どんなにすばらしい恩恵が、降り注ぐことでしょうか。

そうはいっても、なかなか急に「許そう」としても、難しいものです。

まずは、「許し」という世界があると知ること。

そして、許せない相手がいたとしても。

「許せない自分」を、許しましょう。

それができなくても、「許せない自分がいる」と気付くだけも、いいと思います。

私のカウンセリングの中でも、そんな風に「いま」の自分を認める時間をご提供したいと思います。

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