「手放し」の意味と、その効用についてお伝えします。
心が何かに囚われているとき、人は過去に生き、前に進むことを拒みます。
「手放し」とは、いまを生きるために、自分自身に自由を与える行為です。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.過去の古い愛にしがみついていると、現在の関係で次の一歩が踏みだせない
心とはおかしなものです。
何かを空想しているとき、それが現実なのかファンタジーなのか、心には区別がつきません。
なぜなら、心にとってはすべてがイメージだからです。
たとえば、昔の関係はよかったなあと考えていると、心はこう言うのです。
「ほら、私は満足している。もうすでにここにある。べつにいま何かをつくりださなくてもいいんじゃない?」
あなたがいままでに受けとった過去のよかったことをすべて手放していくと、現在の関係のなかにもそうした面があらわれてきます。
いまあなたが受けとるものは、過去よりももっと強く、より力にあふれたものになることでしょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.202
2.「手放し」の意味と、その効用
今日のテーマは、「手放し」でしょうか。
「許し」とならぶ、癒しをもたら
何かにとらわれているとき、心はちぢこまる
「手放し」の反対は、「執着」でしょうか。
「執着」とは、自分の心が何かに強くとらわれてしまっている状態を指します。
似たもので「癒着」がありますが、こちらはお互いの心がくっついてしまって、境界線がない状態なので、若干ニュアンスが異なりますね。
「執着」は、選択肢がない状態であり、心理学ではネガティブな意味で使われますね。
そのイメージとしては、手をぎゅっと固く握りしめ続けている状態です。
ぎゅっと力が入っているとき、人はどうしてもちぢこまってしまいます。
そして、両手をぎゅっと握りしめていたら、新しいものは何もつかむことができません。
実にいろんな対象に、人は「執着」しますよね。
いまの会社しか、雇ってくれるところがない。
お金がないと、人に信用されない。
生まれた土地だから、離れるわけにはいかない。
いまの彼以上の人には、出会えない。
そのいずれもが、選択肢がなく、新しいものが入ってくる余地がない。
これが、「執着」が引き起こす、大きな問題です。
「手放し」は、こうしたものを手放すことを指します。
「手放し」とは、自分に自由を与えること
「手放し」のイメージは、先ほどの握りしめた手を、「そっと」開くイメージです。
「手放し」という語のイメージからすると、「ほうっておく」とか、「捨て去る」といったイメージが浮かぶかもしれませんが、それとは異なります。
その握りしめたものを、投げるでもなく、捨てるでもなく。
「そっと」指を開き、「そのままに」しておく。
その握りしめていたものが、そのままでいようと、どこかへ飛び立とうと、戻ってこようと、それを尊重すること。
その対象に、自由を与える、と言えるかもしれません。
そしてそれは、究極的には、自分に自由を与えることにほかなりません。
その手は、ほかの新しいものに、触れてもいい。
また、握ってもいい。
ただただ、その握りしめていたものに、感謝をささげ、その対象に愛を差し向け続けること。
それは、その相手とのこれまでの関係性を、過去のものにする、ということです。
新しく歩みをすすめるということは、過去に受けた愛を、捨て去ることではありません。
これまでの関係性に感謝し、相手の幸せを祈ること。
それができたとき、「手放し」ができたといえるのでしょう。
3.「いま」を生きるために
心には、時間の概念がない
さて、なぜ「手放し」が重要なのか。
もちろん、「執着」していると苦しいから、という視点からみることもできます。
けれども、私が思う「手放し」の大きな目的は、「いまを生きるため」という視点です。
心とはおかしなものです。
引用文の冒頭にある通り、人の心とは、ほんとうに不思議なものです。
「感情には時間の概念がない」、といわれます。
何年、何十年も前のできごとを、私たちの心はそのままに覚えています。
愛されたことも、うれしかったことも、悲しかったことも、怖かったことも。
いや、それは覚えているというよりも、いま、体験し続けている、といえるかもしれません。
そうしたものを、そのまま未完了にしておくと、なかなか「いま」を生きることができなくなります。
ずっと、その過去の一場面を、「いま」に重ね合わせている、と表現できるでしょうか。
それは、たとえ愛された過去であっても、「いま」を生きることを阻んでしまいます。
どんなものであれ、それを握りしめたままでは、新しく何もつかむことはできません。
それは、過去のイヤなできごとであっても、素敵な思い出であっても、です。
別れた恋人との思い出もそうですし、過去の成功した仕事、あるいは両親との記憶もまた、握りしめてしまいやすいものです。
私もまた、両親と過ごした時間に、まだ「執着」していたりします。
それを握りしめることで、過去のままでいて、新しい一歩を踏み出さないようにしている。
そんなことを、繰り返しています。
手放し、手放し。
何度も何度も、そうつぶやきながら。
まだまだ、道半ばです。
それはともかくとして、「手放し」とは、過去を過去として、現在と区別すること、ともいえるのでしょう。
過去を過去にするために、感情を感じつくす
過去を過去にするために。
やはり、そのできごとや相手から感じたことを、感じつくす、ということが大切なのだと思います。
これは、偉大な癒しである「許し」のプロセスとも、よく似ています。
そのとき、どんなことを感じたのか。
何を、思ったのか。
そんなことを、感じつくすこと。
そうしていくことで、過去を過去とすることができていきます。
それが未完了だと、心は過去と「いま」を区別してくれないようです。
感情を感じつくすことは、自分との対話であり、内省でもあります。
紙に書き出してみることや、人に話を聞いてもらうことが、役に立ちます。
いずれにしても、自分の内で完結しようとせず、「外に出す」というイメージを持つと、やりやすいかもしれません。
そのときの感情を感じつくしたとき、「ありがとう」と両手を開いて、握りしめていたものを自由にできるのでしょう。
そのとき、空いた両手には、何が入ってくるのでしょうね。
「いま」を生きるとは、そんなイメージのように思うのです。
今日は、「手放し」について、お伝えしてみました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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