生命力、という言葉が思い浮かぶような、陽気だった。
冬の冷たさは、もうどこにもなく。
麗らかな暖かさと、時折吹く風が心地よい。
朝晩はまだ冷えることもあるが、もう春本番の気配である。
その陽気に誘われて、少し走りに出る。
ここのところサボり気味だったせいもあり、身体はまだ冬仕様のように、重かった。
それでも、一歩、また一歩と走り続けると、少しずつ身体に熱が帯びてくる。
冬の間は、走り終わる頃にようやく身体が温まってきたように思うが、気温が上がってくると身体も楽になるようだ。
両手を上げて、下ろして。
肩を、ぐるぐると回して。
いろんなところを、動かくしたくなった。
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春のはじめは、どこか不安定で。
ぼんやりとした空気の中、冬の間に溜め込んだ毒気も出てくるようだ。
寒い冬の中、ぎゅっと縮こまる身体に、いろいろと溜め込んでしまうのだろう。
それは、自然なものだ。
溜めては、流す。
循環している、ということかもしれない。
春は、いろんな生活のリズムが変わったり、新しい環境になる季節。
変化は、不安定さとも言い換えられる。
そして、不安定さとは、それだけエネルギーがあるとも言える。
どちらに傾くかわからない、ゆらゆらと揺れるシーソーのように。
不安定さは、エネルギーが放出される前の状態かもしれない。
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強さを取り戻した陽射しに、ジャージの上着の中から汗ばむ感覚を覚える。
汗ばむ陽気に、上着を脱いで半袖になる。
両腕に、風を感じる。
暑さ、寒さもそうだが、皮膚感覚もまた、季節を感じる一つの要素のようだ。
清明の、天地万物が清らかな空気を肌に感じながら。
見上げれば、わずかに残る桜と青空が。
散り際もまた、気高く、美しい。
また、来年会えるのを楽しみにしている。
わたしは、これからまた季節をめぐるよ。
そんなことを想いながら、その散り際の桜の下を通り過ぎる。
ゆっくりとした足取りで、またいつもの神社に向かおうかと思った。
半袖が、どこまでも心地よかった。