「罪悪感」があると、どうしても周りからの愛を受けとりづらくなります。
その状態の自分を責めることよりも、「罪悪感」の裏側にある愛にフォーカスすることが大切です。
1.「すいません」よりも「ありがとう」を
先日の記事では、「すいません」よりも「ありがとう」を、というテーマでお伝えしました。
「すいません」と言いたくなるタイミングで、「ありがとう」を伝えてみよう。 - 大嵜直人のブログ
周りの人から好意を向けられたり、称賛されたり、あるいは手助けをしてもらたりしたとき。
愛を受けとることが苦手な人は、「すいません」という言葉が口をついて出てしまうものです。
「なんか、わたしなんかに、すいません」
「わざわざ、そんなことしていただいて、申し訳ない」
相手の心情を推し量れる、やさしい人ほど、そんな気持ちになってしまうのかもしれません。
それはそれで美しい謙遜かもしれませんが、ただ、愛を贈る側からすると、「そんなこと言わず、受けとってもらっていいのにな」と思ってしまうものです。
また、「なんだか悪いことしちゃったかな」と感じて、そこから積極的に愛を贈ることにブレーキをかけてしまうことにもなりかねません。
もちろん、それは「与える側」「贈り手」の勝手であり、「与えたから、受けとってほしい」と考えるのは、与える側のエゴといえます。
本質的な意味で「与える」ことができたとき、相手の反応は気にならないものですから。
ただ、愛を受けとることができた方が、自分にとっても相手にとってもよりハッピーになれるのは、間違いないところだと思います。
ハッピーって、なんか表現がアレですが笑
なので、「受けとりましょう」ってことになるんですが、ポイントは「すいません」と言いたくなるタイミングです。
「すいません」と言いたくなるのは、何らかの愛が贈られていると感じている(だからこそ居心地が悪かったりする)からです。
そこで、「すいません」のかわりに「ありがとう」を伝えてみよう、というのが先日のテーマでした。
もちろん、ストレートに「ありがとう」と言えればいいですが、もし「すいません」が出てしまったとしても、「ありがとう」を付け加えるだけで、少しずつ変わるものがあります。
2.「すいません」の正体は、罪悪感
さて、愛を贈られたときに出てしまう、「すいません」。
この正体は、やはり「罪悪感」です。
「こんなわたしに手を煩わせて、ごめんさない」
「わたしなんかに、すいません」
そんなふうに、「わたし」に対して、悪いことをした罪人、薄汚れている、けがれているイメージを抱いているから、受けとれないわけです。
罪人は罰を受けるのが当たり前であり、称賛や愛を受けとってはならないわけですから。
あるいは、けがれているわけですから、触れられてたら相手が汚れてしまうと感じてしまうわけです。
「罪悪感」は、人を幸せから遠ざける行動を取らせるものですが、愛を受けとることも、難しくさせます。
なぜ、そうした「罪悪感」を抱くのかは、その人それぞれに理由があります。
代表的なものは、「誰かを傷つけてしまった」、「誰かの役に立てなかった、助けられなかった」といったもの。
「(苦しんでいる人を見て)何もしなかった」というのも、罪悪感を生みやすかったりします。
少し変わったところでは、「自分が周りに比べて恵まれている」ことにも、罪悪感を抱きやすかったりします。
その他にも、親や社会、宗教といったものから受け継いだ罪悪感といったものもあります。
このように、一口に「罪悪感」といっても、実にさまざまな種類があり、こうした原因をすべて避けようとしても、難しいものです。
カウンセリングでも、「罪悪感」は頻出のテーマであり、それだけ誰もが持っている感情といえるのでしょう。
3.罪悪感を責めるよりも、愛にフォーカスを
さて、そうした「罪悪感」ですが、それをなくすことができればいいのでしょうけれども、なかなか簡単にはいかないものです。
だから、「罪悪感」は「持たないようにする、なくそうとする」よりは、それとうまく付き合う方法を考えていく方が、現実的です。
「罪悪感」の裏側には、それと同じだけの大きさの愛があります。
誰かを助けられなかったり、何もできなかったりすることで、人は「罪悪感」を抱きます。
そして、その「誰か」が、自分にとって大切な人、愛する人であればあるほど、大きな「罪悪感」を抱くものです。
つまり、大きな「罪悪感」を持っているということは、それだけ、大切な人を想う愛の裏返しである、と見ることができます。
助けたかった。
笑顔を見たかった。
なんとかしてあげたかった。
そんな想いが強ければ強いほど、「罪悪感」もまた強くなります。
だから、「すいません」が口をついて出てくるほどに「罪悪感」が強いことは、決して責めるべきことでも、間違っていることでもありません。
ただ、それだけ愛したかった、大切にしたかった人がいた、ということ、それだけ大きな愛を持っている、ということだと思うのです。
「あぁ、また『すいません』が出てしまった。ほんと、受けとれないなぁ…」
そんな風に思わなくても、いいんです。
それこそ、「罪悪感」の思うツボです。
「罪悪感」を抱いている自分を責めるという、二重の意味で自分を責めてしまうことになってしまいますから。
そんなに、自分を責めなくても大丈夫です。
「そんなに罪悪感を感じるほどに、わたしの愛は大きいんだな」
そんな風に、罪悪感よりも愛にフォーカスすることの方が、とても大切なことです。
先日の記事であった、「すいません」ではなくて「ありがとう」を伝えることも、その一部です。
「罪悪感」ではなく、愛の方にフォーカスする言葉が「ありがとう」ですから。
今日は、「罪悪感」で受けとれないことを責める、愛にフォーカスを、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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