いろんな時代の痕跡が残っている地層のように、人のココロにもいろんな層があります。
それはバウムクーヘンのようにいろんな層が重なっているようですが、ずっと掘っていくと最後に残るのは、やはり愛だと思うのです。
今日はそんなココロの層に寄せて綴ってみます。
人のココロには大きく分けて、5つの層があります。
そしてそれは奥にいくほどに、それを見ることがとても怖く感じられるようですが、今日はその層を浅い層から順番に見ていきたいと思います。
一層目。いい人の私。
よそ行きの服をきているような、「いい人」を演じる私の層です。
他人に嫌われないように、迷惑をかけないように、笑顔で振る舞う私。
初対面の人と接したり、面接を受けるようなイメージのようなココロの層になります。
普段はそれが自分だと思っているけれど、「いい人」を演じている分、サイズの合わない靴を履いているように疲れます。
そこでなぜ疲れるのかを掘ってみると、二層目の私が出てきます。
二層目。悪い人の私。
一層目の「いい人」がいれば、当然反対に「悪い人」がいます。
悪態をついたり、無愛想だったり、ズボラだったり、だらしなかったり。
この悪くてダメな私を出すと、周りに嫌われてしまうから、封印しないといけない私。
決して外に出してはいけない私。
一人暮らしの部屋で出てくる素のイメージのようなココロの層です。
なぜその「悪い私」を抑え込まなければいけないのか?
またそれを掘ってみると、今度は三層目の私が出てきます。
三層目。判断、ジャッジする私の層。
「いい」「悪い」を判断して、一層目と二層目に振り分ける私がその層にいます。
時間にルーズなのはいけない。
人前で怒ってはいけない。笑顔でないといけない。
人に弱音を吐いたりしてはいけない。
他人に助けを求めてはいけない。
わがままを言って周りを困らせてはいけない。
何らかの判断基準を持った私の層で、私の行動を一層目と二層目に分けて、ダメ出しをする層。
その判断基準は、観念、ビリーフ、思い込み・・・などと表現されることもあるが、その基準は十人十色、人それぞれです。
それでは、その判断基準はどこから持ってきたものなのでしょうか?
それを問いかけていくと、四層目に辿り着きます。
四層目。傷ついた私の層。
その判断基準のもとになるのは、過去に受けたココロの傷。
お父さんが時間に厳しく、いつも叱られてきた。
いつも家でお母さんが怒っていて、悲しかった。笑っていてほしかった。
信頼していた恋人に弱音を吐露したら、受け止めてもらえなかった。
思い切って友人に助けを求めたが、助けてくれなかった。
親に欲しいものを伝えたが、わがままだと怒られて与えてもらえなかった。
多くの人にとって、この四層目の層を見つめるのは、えげつなく怖いのです。
ぱっくり開いた傷口を広げて、塩を塗り込まれるような感覚なのかもしれないですね。
それを感じるのが怖くて怖くて、封印してきたのですから。
けれども、勇気を持ってその怖れや悲しみ、痛みを感じ尽すと、最も深い五層目に辿り着きます。
五層目。愛があふれる層。
そこではすべてが許されるし、すべてが愛だったのかもしれないと振り返ることができます。
お父さんが私を叱ってきたのは、愛情の裏返しかもしれない。
お母さんもきっと深く傷ついていた。きっと私の前では笑っていたかっただろうに。
あのとき恋人の方が弱音を吐きたい心境だったのかもしれない。
もしかしたら、友人は別の形で手を差し伸べてくれていたのかもしれない。
子どもが望むものを与えられない親も、葛藤して苦しんでいただろう。
ほのかに暖かいその層では、すべての人の行動は愛である、ということが理解できます。
与えられます。受け取れます。無敵です。スターマリオです。
卍解です。スーパーサイヤ人ゴット3です。波動砲です。
時間を止めてスタープラチナのオラオラです。ギア4です。
・・・ネタが尽きてきましたが、とにかくそこでは何でも許せるし、何でも受け入れることができるし、何とかなるし大丈夫、と感じることができます。
「幸せ」とは、なにがしかの状態を指すものではなく、ただそこにあるものを感じること。
そんな言葉が思い起こされます。
ところが、私たちはアトラクションが好きなようで、この層にずっと居続けることは難しいようです。
ふとした瞬間に、ひょいっとこの層を抜け出てしまいます。
しかし抜け出てもこの五層目を経験すると、バウムクーヘンの層に変化が起こります。
四層目の傷が癒された分、三層目の判断をする層の「判断基準」が緩むわけです。
あのときは嫌われていたと思ったけれど、実際は愛されていたのかもしれない、と。
そうすると、一層目の「いい人」を演じる割合が減っていくわけです。
自由に、楽に生きることができるようになります。
このプロセスが、「癒し」、「癒される」と呼ばれるものだと思うのです。
ただこの中の三層目の「思い込み」に自分で気づくことはなかなか難しいですし、さらには四層目に触れることを、人は本当に怖れます。
それはそうですよね、その感情を感じることが怖くて、抑えつけているわけですから。
だから「癒し」は自分一人の力では、なかなか難しいわけなので、世の中にはいろんな手法の「癒し」があるのですね。
さてこのココロの層が5層に分かれるというお話しですが、根本裕幸さんの心理学講座でお伺いしました。
そのお話を伺ってから、ずいぶんと人のココロについていろんな見方ができるようになり、楽になったように覚えています。
そして、数多あるいろんな「癒し」の手法の中で、ココロの奥底を覗き、癒してくれるのがその根本裕幸さんのリトリートセミナーです。
ロールプレイという手法を使ったオープンカウンセリングがメインですが、他の人のカウンセリングを聴いているだけで、自分の奥底にある愛があふれる層に気づかされ勝手に癒されるという不思議な体験ができるセミナーです。
私は昨年の3月に葉山で開催された回に参加させて頂きましたが、次回は7月7日・8日に札幌で開催とのこと。楽しみですね。
今日は人のココロのバウムクーヘンのような5つの層と、その最も深い層に触れるセミナーについて綴ってみましたが、いかがでしたでしょうか。
どうぞ、今日もごゆっくりお過ごしください。