ジュリア・キャメロン著「The Atrtist's Way(邦題:ずっとやりたかったことを、やりなさい。)」の実践ワーク3日目。
今朝から実際に「モーニング・ページ」のワークを始めてみた。
「モーニング・ページとは何ぞや?」はこちら↓から。
The Artist's Way 【2日目/基本ツール、誓約書】 - 大嵜 直人のブログ
前々日が寝不足だったこともあり、昨晩は10時過ぎに就寝した。
そして今朝30分早起きして、起き抜けにノートに向かい、頭に浮かんでくることを書きつけた。
A4の大学ノートで3ページ分をびっしりと。
ペンが止まらないように、頭に浮かぶことは何でも書いていって、3ページ分を書き尽くすのに20分ほどかかった。
終わってみて、こんな感じでいいのかな、というあっけない感じだった。
この「モーニング・ページ」は、書いた内容が重要ではなく、「書く」こと自体が重要なので、ノートを読み返したりしない、と本には書いてあったので、その後ノートは閉じて放置してある。
もうすでに、何を書いたのか、大部分は思い出せない。
これがどんな効果をもたらすのか、続けてみないことには分からない。
何かに慣れる、何かが変わる節目といわれる「3日、3週間、3ヵ月」という「3」の節目のときに、振り返ってみたいと思う。
何でもそうだと思うのだが、何かが劇的に変わる魔法の杖は存在しない。
それがどんなに優れた健康法であっても、効果が出るまでに3ヶ月といった一定の期間はかかるように思うし、何がしかの効果が出るまで続けるということが大切なように思う。
逆に、いきなり効果があるのは、必ずそれが切れたときに逆方向へのキックバックがあると見ていい。
カフェインだったりエナジードリンクだったりを見ていれば、当然のことなのだが。
その上で、なのだが、やはり「書く」という目に見える形にすることは、私たちの意識を劇的に変えるように思う。
キャメロン氏が「モーニング・ページ」を「脳の排水」と呼ぶのも分かるような気がする。
もっとくだけた言い方をするなら、それは「脳の排水」と呼んでもいいのかもしれない。脳の中を掃除することが目的だからである。
モーニング・ページには間違った書き方というものはない。この、日々の気楽な作文は、芸術をめざすものではない。作文とさえいえない代物だ。本書に取り組んでいる物書きではない方たちに、そのことを強調しておきたい。書くというのはさまざまなツールの一つにすぎない。モーニング・ページはただ手を動かし、心に浮かんでくるものをそのまま書きとめることをめざしている。卑劣なこと、愚かなこと、ばかげたこと、奇妙なこと、どんなことでもかまわない。
「基本ツール」 p.26
そして、第1週目の課題として、
「毎日モーニング・ページの最後には、自分を肯定する言葉を書き、否定的な声が聞こえたら、それを肯定的な言葉に変える作業をしよう」
という課題があった。
書いていて、自分には才能などない、自分には価値なんてない、というような否定的な声が聞こえたので、今日のページの最後に、こんなような記した。
「私には多くの天賦の才能がある。私は天才です。私はすごいんです。」
書いてみて恥ずかしいが、やはり肯定的な言葉は人の目にさらしてこそ、だと思うので、あえてここに記してみる。
さて、この実践をどうやったら習慣化できるか、いろいろ考えながらやってみようと思う。
そんな3日目の実践だった。