ハンドルを握る手は、汗ばんでいた。
初めて走る道。
夜。
風の噂にその難易度を聞く、大阪の都市高速。
二日続けて早朝からフル活動した疲労感。
運転が得意ではない私にとって、この上なく難しい場面設定のせいもあったのだろう。
けれど、汗ばんでいたのは、手だけではなかった。
全身、妙な汗をかいていた。
ジャケットを着たまま、運転席に乗ってしまったことを後悔した。
いや、それよりも、つい先ほど伝えられなかった言葉への後悔が、白衣に垂らした墨汁のように心に広がっていた。
「ありがとうございます、嬉しいです」
人から好意を伝えられたとき、称賛を受けたとき、長所を見てもらったとき、ニッコリ笑ってそんな言葉を伝えられたら、どんなにいいのだろう。
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「GIVE&GIVE」「恩送り」「ペイフォワード」といった言葉が、巷ではよく聞かれるようになった。
もちろん、それは素晴らしい行為だと思うし、私もそんな言葉に象徴されるような行動をしていきたい。
けれど、多くの人にとって人生を変えるインパクトが起こる可能性があるのは、そうした「与える」行為ではなくて、いまそこにある愛を「受け取る」ことの方が多い。
そこにある愛に気づかずに、次の人に穴の開いたバケツで水を贈ろうとしても、結局のところ、枯渇するだけなのだ。
いま、目の前の人から与えらえている、有形無形の愛。
そして、いままで自分に与えられてきた、結晶のような愛。
それを受け取らずに、与えることなんてできやしない。
例に漏れず、私もさんざん与えられてきた愛を、全力で無視し、否定し、叩き潰してきた。
もちろん、受け取れないのには、その人それぞれに理由がある。
私の場合は、両親との別離による傷があまりにも痛すぎて、それを冷凍して置いておく必要があり、愛を受け取るスペースがなかった。
それに気づくのに、15年以上の歳月を必要とした。
今もまだ、その傷の解凍と癒しの最中であるし、おそらくそれは一生続くのだろう。
それでも。
素直に「ありがとうございます」と賛辞を受け取れることに、あこがれを抱かないことはなかった。
他意なく好意や称賛、長所を伝えられると、私は全力で否定しながら、後ずさりしたくなる。
罪悪感と、無価値観が刺激されるのだ。
そんなことないです。
私よりも、もっと素晴らしい人、いっぱい、いっぱいいます。
私なんて、もう20年も前のことを引きずってる弱い人間なんです。
そのおかげで、男性としての自信もありません。
一定の距離ではうまくいっても、親しい人間関係はほんとにダメなんです。
寂しがり屋のクセして、構ってほしいっていうメンドクサイ人間なんです。
でも、口ではそうやって言っておきながら、心の中ではマウンティング大好きなクズさを抱えてます。
ほんと、褒められていい人間じゃないんです、と。
両手いっぱいの花束のように贈られる愛を、私は何度も何度も受け取り拒否をして、送り主に差し戻しをしてきた。
何も考えず、受け取ることができていたら、どれだけ送り主を喜ばせることができていたのだろう。
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それなのに。
それなのに、それだけ受け取り拒否をしても、世界は両手どころか、千手観音でも受け取るには手が足りないくらいの愛を用意してくる。
ほんとに、因果なものだ。
このブログのことを、知っていてくださった。
心に響きます、と言ってくださった。
愛を、伝えてくださった。
受け取る、受け取る、受け取る…そう呪文のように呟きながら、私は固まる。
受け取ることも、それよりも皆さんの方が素晴らしいんですと伝えることも、どちらもできずに後悔だけが重なる。
その包容力、童心、そして力強さ。
「ハッピー」という言葉に込められた想いと人生の積み重ねに、敬意を払わずにはいられませんでした。
たくさんお話ししてくださって、ありがとうございました。
ずっと真剣に話を聴いておられた、その澄んだ眼の奥に宿る情熱。
「いきものがかり」という言葉を聴いたとき、部屋が明るくなったようでした。
終電ギリギリまで、ありがとうございました。
天真爛漫さ、無邪気さ、世界を明るくする力。
帰宅した際に「車止め」が目に入って、つい思い出し笑いをしてしまいました。
微笑みを、ありがとうございました。
どんなエピソードからも、人の長所を見つけ出せるその才能。
それはすべてご自身がお持ちの魅力なのだと、お話される度に感じておりました。
光をたくさん、ありがとうございました。
そして、女神性。
なんだ、わざわざ熊野路・大和路をはるばる歩かなくても、神さまはここにいらっしゃったのか、と気づきました。
ずっとクリスタルボウルの音色が響いていました。
ありがとうございました。
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素直に笑って、「ありがとう」。
どれだけ言葉を尽くしても足りない方たちに、そう言えるように。
愛を、受け取れるように。
ようやく高速道路に乗れたが、案内板で京都東インターから草津ジャンクションまで渋滞70分の表示を見た。
普段はげんなりする渋滞も、今日ばかりはそれでいいと思った。
自宅に着くまでに、何度も何度もハンドルにヘッドバッドするくらい悶絶しながら、受け取ろう。
飲みさしのペットボトルのお茶を口に含んで、ゆっくり帰ろうと思った。
飲みこむと、柑橘類のほろ苦い香りが鼻腔を抜けていった。
あのデセール、美味しかったな。
まだ無事に家に着いていないのに、また、旅に出ようと私は思った。
また、大阪に来ようと思った。