自立するほどに、感情を感じづらくなっていきます。
そして、感情が閉じていると、生きている実感がほしくて「ドラマ」をつくりだしたりします。
そうした閉じた感情を開くためのヒントとあわせて、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.感情が閉じていると、生きている実感がほしくてドラマや痛みをつくる
私たちは自分のなかにエネルギーを感じられなくなったり、感情が通っていくときの自然な高まりが感じられないと、そこでドラマや痛みをつくりだします。
何も感じられないとき、人は何かを感じるためなら、どんなことでもするのです。
そして、ときには暴力まで生みだします。
けれどもすすんで感じよう、自分を開こうという気持ちがあれば、べつに人生にドラマや否定的なことや痛みをつくりださなくても、生きているという実感を味わうことができるのです。
自分のどんな感情にもすべて気づいているというときには、みずみずしい気持ちの高まりがあります。
いま自分が癒されていることがわかり。さまざまな感覚の微妙な動きがわかるのです。
私たちが「感情」や「痛み」と呼ぶものは、本来ある状況でのエネルギーのあらわれ方のひとつなのです。
あらゆる感覚を経験し、それらをきちんと感じていくと、肉体的な痛みも感情面での痛みも解放されてあなたが広がっていきます。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.341
2.感情を感じたいがゆえに「ドラマ」をつくる
今日のテーマは、「ドラマ」でしょうか。
「ドラマ」とは、感情が起伏する何がしかのできごとのことです。
感情が閉じていると「ドラマ」をつくる
感情が閉じていると、実に多くの問題を引き起こします。
感情を感じられない無感動な状態でいると、人は生きている実感を得たくて、自分の周りに「ドラマ」をつくりだします。
「ドラマ」とは、自分の心が揺れ動くできごとのことです。
そして、最も簡単にそれを感じられるものの一つが、「痛み」です。
ほーっとして眠ってしまいそうなときに、頬や太ももをつねってみると、その痛みで目を覚まそうとするようなものかもしれません。
太ももをつねるのは、自分の意志でやっているのは分かるのですが、なかなか「ドラマ」を自分がつくっているとは、気づかないものです。
かつて、私も「ドラマ」をたくさんつくっていました。
自立の極北で、無気力、無感動な状態で、それでもラットが回し車で走るように、がんばらないといけないと走り続けていたとき。
よく、いろんな「ドラマ」をつくりました笑
人間関係の葛藤を抱えてみたり、交通事故を起こしてみたり、仕事のトラブルを起こしてみたり…
まあ、それだけ「生きている」という実感がほしかったのでしょう笑
見方を変えれば、それだけ感情を感じられないというのは、人にとって苦しいものともいえるのかもしれません。
感情が感じられないくらいなら、痛みを感じている方がマシだ、と。
自立するほどに、感情を切っていく
では、なぜ感情を感じることが難しいようになるかといえば、「自立」のマインドが影響しています。
私たちは、「依存」の状態から「自立」へと成長していきます。
「自分には何もできないから、誰かが何とかしてほしい」という状態から、「自分で何でもやる」というように、私たちの心は成長していきます。
「自立」するがゆえに、私たちは自分の足で立ち、自分でできることを増やしていくことができます。
しかし、私たちを「自立」へと駆り立てるものは、「依存」時代の痛みです。
助けてほしかったのに、誰も助けてくれなかった。
一人ですごく寂しかったのに、誰も一緒にいてくれなかった。
あの人には笑顔でいてほしかったのに、それが叶わなかった。
そういった痛み、あるいはネガティブな感情を感じるのが嫌で、私たちは「自立」しようとします。
何がしかの感じたくない感情というのが、私たちを「自立」に駆り立てます。
そして、「自立」をしていくほどに、その感情への怖れは大きくなっていきます。
もう、あんな想いはしたくない、と。
そうすると、その感情を感じないように、切ってしまったり、閉じてしまったりするのですね。
しかし、喜怒哀楽というように、人にはいろんな感情がある中で、あるひとつだけの感情を切ることは、できないようです。
寂しさ、というネガティブな感情を切ってしまうと、その反対の極にある愛おしさやつながりといった感情もまた、感じられなくなっていきます。
ひとつの感情を閉じる、ということはできず、結局はすべての感情を感じることができなくなります。
だから、「自立」が進んでいくと、感情が感じられないロボットのような無感動な状態になっていきます。
「自立」が非常に進むと、感じられる感情は「怒り」と「性欲」のみ、ということもあります。
はい、思い当たる節がありすぎる私です笑
しかし、繰り返しになりますが、感情を感じられないのは、人にとって不自然でしんどい状態です。
感情を感じるために、わざわざ自分のまわりに「ドラマ」をつくりだすわけです。
それによって、焦ったり、落ち込んだり、痛みを感じたり、あるいはトラブルが解決してほっとしたり…そんな感情の揺れがほしくて、人は「ドラマ」をつくります。
3.感情を開く2つのアプローチ
人は、痛みやネガティブな感情を感じたくないがゆえに、「自立」していく。
しかし、感情を感じられないことには耐えられないので、「ドラマ」をつくってまで生きている実感を得ようとする。
けれども、その「ドラマ」に文句を言ったり、こんなものは望んでないとか、不平不満を言ったりもする。
マッチポンプというか、人の業というか、自作自演というか…
人の心というのは、不思議なものです。
そう見ていくと、結局は「感情を感じましょう、開きましょう」ということになるのでしょう。
はい、いつもいつも、あまり言っていることは変わりないのですが笑
ただ、いきなり「感情を感じましょう」といっても、「どうやって?」「感情とは?」となってしまうものです。
そのためには、2つのアプローチがあると思います。
五感に意識を向けてみる
一つ目は、「感覚」から入るアプローチです。
一日のなかで、少しだけでもいいので、五感に集中する時間をとってみてはいかがでしょうか。
見る、味わう、香りを嗅ぐ、音を聴く、触れてみる…
そうした五感を、意識するだけです。
一杯のコーヒーを、時間をかけてその香りと苦みを楽しむ。
ベンチに腰掛けて、少し空を見上げる時間をつくる。
「これは、心地いいな」とか、「この音は不快だな」とか、そういった感覚でいいんです。
そうしていくうちに、自分の感覚と少しずつ、少しずつつながっていきます。
自分とつながっていくほどに、自分の中の感情にも自覚的になっていきます。
過去の痛みと向き合う
2つ目は、少しハードかもしれません。
先に見た通り、感情を閉じてしまうのは、何がしかの「痛み」を感じるできごとがあり、感じたくない感情があったゆえに、です。
そうであるならば、その感じたくない感情を感じることができれば、他の感情もまた開いていくはずです。
過去の痛み、ネガティブな感情と向き合う、というアプローチです。
ただ、そもそもそれを感じたくないがゆえに、閉じてしまったわけですから、それと向き合うのは怖いものです。
そして、閉じてしまったことを、忘れてしまっていることも、よくあるのでしょう。
なかなか、それは一人ですることは難しいものです。
誰かに話しをしながら、その痛みに向き合っていくというのが、最も確実な方法の一つだと思います。
信頼できる人、安心できる人に、その痛みを話してみる。
そうすると、少しずつ閉じていた感情が開いていくことでしょう。
今日は、「ドラマ」を引き起こす心理と、感情を開くためのヒントについてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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