大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「対等性」を持つことと、「神の子」というお話。

「自立」を手放していくには、「対等性」が一つの重要なテーマになります。

その「対等性」を示すテーマに、「神の子」という見方があります。

1.父親を越えるとは、どういうことか

今日のお話は、ちょっと脇道に逸れて、私の個人的な体験に寄せて書いてみたいと思います。

書きながらまとめてみるので、カテゴリも「エッセイ」にしてみました。

とはいえ、心理学的なテーマも交えながら、お伝えできればと思います。

 

「自立を手放す」というのは、実に難しいテーマです。

私自身も、ずいぶんと取り組んできましたが、まだまだ道半ばです笑

そんな「自立」のもたらす弊害の一つに、「正しさ」を押しつける、というものがあります。

自分のルールや観念を、相手に押しつけてしまう。

それは時に、「これはいい、これはあかん」という価値判断にも、つながってしまいます。

また、「どちらが正しいか」と、周りの人と競争をしてしまうことも多々あります。

はい、ありますよねぇ…(遠い目)

これがあると、「正しいか、正しくないか」「上か、下か」「勝つか、負けるか」といった、二元論的な視点でしかものごとを見ることができなくなったりします。

そうすると、問題が出てくる場面があります。

私の場合で顕著なのは、「父親越え」というテーマです。

この「父親」とは、実際の父親でもあり、また権威の象徴でもあります。

なので、上司や社会といった、自分よりも権威のある存在全般との付き合い方にも影響します。

「自立」のステージを抜け切れていないと、この「父親越え」が、文字通り「父親を越えないといけない」という心理になるんですよね。

なので、父親(=権威の象徴)は、「戦うもの、争うもの」という観念が、自分のなかにこびりついてしまうんです。

常に反抗する、中指を立てる生き方になってしまう、というか。

これ、父親だったらまだいいんですけれど、上司や社会、あるいは究極的には神さまといった存在に対して、ずっと中指を立ててしまうのは、生きづらそうですよね。

盗んだバイクで走りだすのは、思春期までにしたいものです笑

それはともかくとして、実際には、私の父親はすでに亡くなっているのですが、心理的には、生きていようがいまいが、同じなんですよね。

さて、この状態を抜け出すのは、どうしたらいいのか。

2.必要なのは、「対等性」を持つこと

一つのキーワードは、「対等性」です。

「自立」は、なんでも自分一人でやろうとするがゆえに、周りとのつながりが切れてしまいます。

もちろんそれは、そうせざるを得なかったというだけで、それが悪いというわけではありません。

ただ、それが進んでいくと、「自分と他人」の溝は深くなってしまいます。

権威と争うのは、ある意味でカッコいいかもしれませんが、それはまた、逆から見ると、自分よりも下の立場とも、対等な関係を築きづらくなります。

下の立場というのは、後輩や部下、あるいは子どもだとか、そういった存在ですね。

だって、権威のある存在というのは、自分が中指立てて、戦いを挑んでいるわけですよね。

そのポジションに、自分が就くことが、怖くなるわけです。

同じように、中指を立てて、争いを挑まれるのが、怖いから。

そうなると、一歩引いた付き合い方というか、ある程度の距離を置いたつきあいしか、できなくなります。

これ、「自立」のもたらす孤独感と相まって、結構しんどいんですよね。

上にケンカを売ってきた分、自分がそのポジションに入るのが怖くなる。

ヤンチャしていた中学生が、自分も先生になりたいとは、なかなか言えないじゃないですか笑

だから、「対等性」なんです。

わたしもあなたも、同じ存在。

その意識を持つことが、この「自立」の罠を抜け出すヒントになります。

3.「神の子」という意識

でも、「対等性」って、難しいですよね。

「わたしとあなたは対等って言うけれど、違う人間だし…」

私も、そんな意識を持っていました。

それが、最近、あるワードを聞いたときに、「あぁ、なるほどな」と感じたので、この記事を書いている次第です。はい、前置きが長いですね笑

それが、「神の子」です。

ここで何度も紹介しているチャック・スペザーノ博士の「セルフ・セラピーカード」に出てくるテーマです。

実は、私は6年位前に、この「神の子」というテーマを聞いていたんですよね。

「あなたは、神の子です」、というフレーズで。

いままで、私はこの「神の子」というテーマを、感覚的に、「特別性」としてとらえていました。

神さまに愛された子であり、それだけ特別な存在。

そう感じることで、自分を受け入れ、自分を愛するためのテーマ。

その解釈も間違いではないとは思いますが、「神の子」が伝えるのは、それだけではないんですよね。

いわく、「神の子」とは、「対等性」の概念だと。

「わたしもあなたも、等しく、神の子である」

それが、「神の子」の指し示すところです。

神さまは、別に越えなくていいんですよね。

「自立」の人は、常に自分の正しさを武器に、争おうとします。

父親、上司、社会…その行きつく先は、神さまです。

神さまに勝とうとするなんて、どだい愚かなことです。

太陽に挑んだイカロスのようなものかもしれません。

私たちは、等しく「神の子」。

その寵愛を、笑って受け取っていれば、いいんです。

もし、「自立」の人にとって、神さまが争う存在でなくなったとき。

それ以外の存在との関わり方もまた、変わっていきます。

「父親越え」は、別に父親を越えなくてもいいんですよね。

ただ、父親を笑顔にさせたら、勝ちなんです。

父親を笑顔にさせるには、どうしたらいいか。

ものすごく、単純なことです。

ただ、自分が笑っていればいいでんすよね。

いえ、別に、無理に笑う必要もありません。

ただ、今日を生きてさえいれば、それでいいんですよね。

 

私自身、息子を見ていると、それはよくわかります。

別に、どう生きたっていい。

笑顔でいてくれればいいけれど、生きる中では、辛いことも、苦しいこともありますよね。

どんなときでも、ただ、息子が今日を生きていること。

それだけで、もう十分なんですよね。

それだけで、じゅうぶん。

 

そう思うと、別に父親や権威に勝たなくても、どうかしなくても。

ただ、今日を生きるだけで、それでもう十分なのかもしれません。

今日は、対等性と神の子、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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