大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自己否定と自分への過剰な期待がつくる「完璧主義」の苦しさを、ゆるめるために。

自己否定からくる自分への過剰な「期待」は、完璧主義と結びつきます。

それをゆるめるためには、やはり深呼吸と休息、そして自分自身への生の信頼が必要なようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.期待は休息を与えない

期待は、実際は自分自身への不満と、このままでは不十分だという気持ちを反映したものです。

期待をしていれば、どんな状態でも満足することがありません。

 

期待は完璧主義と関連しています。

これを追い求めていけば、完璧以外のものはすべて失敗になってしまいます。

こうした場合、自分がしたことへのごほうびを自分自身に許すことがありません。

仕事が完了したとき、休息とごほうびの時間を楽しむことなく、すぐに自分を次の段階へと駆り立てます。

完璧主義者は休息をしないので、より高く広い視野でのヴィジョンが見えません。

自分にとって、何が次の大きな飛躍なのかを見るかわりに、目先の変更ばかりをくりかえすのです。

心配がたえず、こまかなことばかりに追いまわされてしまいます。

要するにいつも頑張りすぎ、やりすぎなのです。

 

あるいは、はじめから何もやってみようとしない完璧主義者もいます。

それでも頭のなかには山ほどストレスとプレッシャーをかかえていて、内面では少しも休息できないのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.273

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2.完璧主義者の憂鬱

今日のテーマは、「期待」でしょうか。

そして、それが引き起こす「完璧主義」にも触れてみたいと思います。

「期待」の心理

「期待」とは、自分の欲求を素直に表現せずに、こうなったらいいな、と奥ゆかしく願うもの、とでも表現できるでしょうか。

「奥ゆかしい」というと、風流な感じがしますが、もうすこしベタっとしているのが「期待」です。

私たちは、「依存」の状態にいるときは、自分の欲求を素直に表現することができます。

生まれてきたばかりの赤ちゃんを想像してみると、そうですよね。

おなかがすいたら泣き、眠たくなったらぐずり。

赤ちゃんに限らず、自分には何もできない、という「依存」の状態のときは、自分の欲求を表現することができます。

しかしその欲求は、満たされることもあれば、満たされないこともあります。

それは、相手が主導権を握っているからに、ほかなりません。

相手の都合によって、自分の欲求が満たされなかったりする。

それを繰り返していくうちに、私たちは「自立」していきます。

「なんでも、自分でやろう」とする世界に、移っていくわけです。

けれども、当たり前のことですが、すべてのことが、自分一人でできるわけではありません。

そして、「誰かに何とかしてほしい」という欲求が、なくなるわけでもありません。

私たちは「自立」していくうちに、そうした欲求を素直に表現するのではなく、「こうなったらいいな」と胸に秘めるようになります

これが、「期待」の心理ですね。

しかし、エスパーでもないかぎり、そうした奥ゆかしい「期待」を、周りの人が汲み取ってくれることはありません。

自分の欲求を自分の内にとどめ、現実にアプローチすることなく、「あぁ、やっぱり叶わなかった」という嘆きを繰り返してしまう。

これが、よく「期待は裏切られるもの」といわれる所以です。

はい、なかなかにベタっとしてしんどいのが、この「期待」です。

自己否定からくる過剰な「期待」が、完璧主義をつくる

さて、この「期待」という心理ですが、少し違う角度から見ると、「ものごとのポジティブな部分だけを見る」という特徴があります。

ポジティブな面を見ることが、悪いわけではありません。

現実やネガティブな面や現実から目を背けて、ただ自分の欲求や願望だけを見ているのが、「期待」の心理といえます。

ちなみに、この反対にネガティブな部分だけにフォーカスすると、「心配」になったりしますね。

さて、自分自身に対しての評価や、自分への不満が強いと、こうした「期待」を自分自身に向けてしまうことがあります。

「自分はこうあるべきだ」
「自分はああならないといけない」
「自分はこうあるはずだ」

…などなど、無理やりに自分のポジティブな面だけを見ようとすること。

それは、自分への「期待」であるといえます。

その根底には、いまの自分への不満であったり、このままでは不十分という気持ち、つまりは「自己否定」が眠っていたりするわけです。

そうした自分自身への過剰な「期待」があると、完璧主義になるのは、容易に想像がつくのではないでしょうか。

完璧以外は、許せない。
完璧以外は、失敗である。
中途半端なものは、意味がない。

…そんな意識で毎日いると、深呼吸をすることもできなくなってしまいそうです。

もちろん、完璧主義そのものが悪いわけではありません。

それが職人気質や、こだわりといった面で出る場合も、あります。

しかし、自己否定からくる「期待」がもたらす完璧主義は、自分に過度なストレスと重圧を与えるだけになってしまいます。

3.浮かんでいれば、流れていくもの

がんばるほどに、ハードワークするほどに、遠くなる

「自立」の過程でめばえる、「期待」の心理。

そして、それが自己否定と結びつくと「完璧主義」となり、自分を苦しめてしまうようです。

心配がたえず、こまかなことばかりに追いまわされてしまいます。

要するにいつも頑張りすぎ、やりすぎなのです。

この一文に、集約されていますよね。

がんばりすぎ、やりすぎ。

完璧主義者の多くは、ハードワーカーです。

それは仕事に限った話でもなく、家庭の中の役割に対してだったり、友人の中にあっても、気を遣い続けていたりします。

四六時中、自分の脳内のメモリーをフル稼働させていて、休まる暇がない、と。

しかし、どれだけそのハードワークを重ねたとしても、自分が「期待」した姿には、近づくことができません

これは、本当に不思議なんですよね。

そもそも、何がしか自分の「期待」する姿があって、そのためにがんばっているのに。

それをがんばるほどに、ハードワークするほどに、その「期待」する姿から遠ざかっているような気がする。

完璧主義が強くなっていると、乾いた砂の蟻地獄にいるような、そんな気分すらしてしまうものです。

深呼吸とやすらぎと休息と

そうであるならば。

やはり、解決策は自分自身を休ませてあげることなのでしょう。

自分はこうあるべき、という「期待」を手放す

自分の生の中に、深呼吸をできる時間を、やすらぎを、休息を取り入れる

不思議なことに、息を吐き、張り詰めてこわばっていた身体をやわらかくするほどに、人生は流れていきます。

いまは夏の盛りですが、プールの中では、暴れるほどに沈むものです。

ただ、何にもせずに「けのび」をしていれば、勝手に人の身体は浮いていくものです。

そして、浮いていれば、人生の流れに乗って、勝手に運ばれていくものです。

どこへいくのか?という心配をする必要もありません。

オールで漕がないといけない、と焦る必要もありません。

ただただ、ぷかぷかと浮きながら、流れていく景色を眺めて、それを楽しんでいるだけで、いいんです。

どんな川の流れも、いつかは大きな海に流れつくように。

あなたの生の、大いなる流れを、信頼すればいいんです。

そういえば、「期待」とはポジティブな面だけを見ることで、「心配」はネガティブな部分だけを見る、と先ほど書きました。

その両方を、まっすぐに見据えることを、「信頼」といいますね。

今日はひとつ深呼吸をして、あなたの生の大きな流れを、信頼してみてはいかがでしょうか。

 

今日は、「期待」と「完璧主義」について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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