他人に謝れない人は、その内面に大きな罪悪感を抱えています。
もし周りにそうした人がいるならば、それを理解しようとすることは、自分に大きな恩恵をもたらしてくれます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.「岩」であるということは、ぜったいに「ごめんなさい」と言わなくてすむこと
「岩」は謝ることがきらいです。
内面に信じられないほどの罪の意識を感じていることを、認めるような気がするからです。
したがって、罪悪感もきらいです。
人生のどこかで、自分が何かを完全にだいなしにしてしまったと感じ、そのことでまだ自分を本当に許していないからです。
だからこそ「岩」は世界を救おうとするのです。
「岩」は自分がとんでもない大きな過ちをしてしまったから、自分自身を犠牲にする必要があると感じてします。
ところが、どんなに犠牲になっても、ぜったい罪悪感をつぐなうことはできません。
一方「沼」はいつでも謝り、自分を卑下しています。
それは何か悪いことをしたからではありません。
自分が悪いと感じるからなのです。
子供のときに必要だと感じた愛や注目すべきすべてのことを受けとることができなかったのは、「自分が悪い」のが原因だと感じているのです。
だからこそ、いまどれだけの愛を受けとっても、十分ではないのです。
「岩」がどんなに犠牲を払って与えてくれても、「沼」はぜったいに安心できません。
また「沼」は、何がうまくいっていないのかをコミュニケーションすること、不満を伝えること、批判することがとても上手です。
ところが「岩」は批判されるのがきらいです。
そして、批判を避けたいばかりに働きすぎたり勉強しすぎたりする傾向があります。
「岩」はいつも、「あんなに大変だったのに、自分はそれを生きぬいてきた」ということを証明しようとします。
ときには自分の限界をためすために、ばかばかしいようなことまでやります。
そして、いつでも根本にある罪悪感を乗り越えるために、自分自身を証明しなければならないと感じているのです。
「岩」のモットーは、「どんなにきつくても、自分は耐えぬいてみせる」ことです。
ところが「沼」は何にも耐えられません。
もし「沼」が不満や批判を受けたらつぶれてしまい、消え去り、逃げだし、さらにもっと「沼」的な行動に入っていってしまいます。
するとかならず二人のあいだに誤解が生じる状況となるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.359,360
2.「謝れない」人の心理
昨日に続いて、今日もパートナーシップのなかでのコミュニケーション論でしょうか。
「岩」と「沼」のタイプについては、こちらの記事をご参照ください。
ごくごく単純化するなら、「岩」がストイック、犠牲的、聞き手で、「沼」がヒステリック、感情的、話し手です。
便宜上、そうした分類をしているだけであって、どちらがいい/悪いという話ではありませんし、他人を断定したり判断したりするためのものではありません。
ここは、何度でも注意が必要なところです。
あくまで、目的は「他人と円滑なコミュニケーションを取ること」です。
「岩」のなかにも「沼」の要素がある?
さて、今日の引用部を読んで、いかがでしょうか。
私自身は、自分を完全な「岩」だと思っていたのですが、「あれ、もしかしたら『沼』でもあるかも…」と感じる部分がありました。
あぁ、この部分は、ときどきそういう傾向、あるなぁ…と。
私がそうであるように、こうしたタイプ論というのは、すぱっとキレイに分かれるものでもなく、「まだら色」「グラデーション」のようなものなのでしょう。
「白か黒か」の二者択一ではなく、「黒っぽい灰色」「白のようなグレー」なのが、人の世の常ともいえます。
「自分は、ぜったいに『岩』タイプだ」と思うよりも、「『岩』の傾向があるなぁ」くらいにとらえるので、ちょうどいいのかもしれません。
「あ、この部分は『沼』の要素があるわ」とか。
そもそも、人の性格や資質を、画一的な形にあてはめることは難しいことです。
ただ、そういった傾向にある、ということを知ることで、自分を、そして相手を理解する手助けにすることが、大切なのでしょう。
先ほどの前提の、繰り返しになってしまいますが。
「岩」傾向の人は、謝ったら自分がなくなってしまう
さて、私のように「岩」傾向のある人は、「謝る」ことが苦手です。
ここで注意したいのは、仕事のなかでの顧客からの苦情対応とか、そういった部分は、別に問題なくできる人は多いと思います。
私自身も、一般顧客相手の仕事をする中で、よくお詫びにお伺いするとかありましたが、別に苦にはなりませんでした。
しかし、その「ごめんなさい」をする原因、というか理由が、「自分自身」にあると、とたんに謝れなくなるんですよね。
意地を張ってしまう、というか。
自分自身の仕事、というか仕事の中のゆずれない部分(クオリティなのか、信頼なのか、理念なのか)について、何らかの過ちがあったとしても、絶対に謝れない。
あるいは、パートナーシップのような、パーソナルな関係においても、そうですよね。
なんとなく、伝わりますかね…?
謝れない最も大きな理由の一つは、「罪悪感」です。
もちろん、プライドとか、他にもいろいろあるとは思いますが、やはり大きいのは「罪悪感」です。
「岩」傾向の人は、往々にして非常に強い「罪悪感」を抱えています。
はい、私も「Mr.罪悪感」です笑
心の深い部分で、自分で自分の罪を責めている傾向が強い。
その自分を責めていることを自覚したら、とんでもなく苦しいので、普段はそれを抑圧して感じないようにしています。
心の中で、自分をボコボコにしているのに、それに見て見ぬふりをしている。
しかし、「ごめんなさい」と言うことは、自分の罪を認めるわけです。
すると、否が応でも、自分が自分をボコボコにしていることを、自覚せざるを得ない。
そして、それを償うためには、さらに大きな罰を受けないといけないわけです。
でも、自分の心がこう言うわけです。
「もう、これ以上、責められないよ。できないよ…」
「もう、痛いよ、もう、やめたいよ…」
はい、なんだかせつなくなるくらい、痛いですよね…
だから、謝れないし、ごめんなさいが言えないし、自分の非を認めることができない。
「岩」傾向の人が謝ることができないことの裏には、そんな心理があります。
3.相手を理解しようとすることは、相手の中にいる自分自身を見つめること
関係性の近い人との分離は、自分の内面にも分離をもたらす
さて、「沼」傾向のみなさまは、ついてきてきますかね…
「は?何言ってんの、この人?」となっていますでしょうか笑
でも、ある意味でそれは、とても重要なことです。
相手の理解できない部分を、理解しようとするとき、私たちの心は大きく広がります。
「この人は、なんで謝らないんだろう?頭おかしいんじゃないか?」
そう思うことは、簡単です。
ただしそれは、自分が間違っていることに気づいたら謝ることが、「当たり前」である人にとっては。
それが、「当たり前」ではない人がいます。
それを、ただ単に「性格が違うから」「考え方が違うから」と割り切ってしまうことは、ある意味で簡単です。
もちろん、ある程度の距離のある関係の人に対しては、それでもいいのでしょう。
しかし、パートナーや家族といった、関係性の近い人たちとの間に、そうした「当たり前」の対立があったときに、そうした割り切りは、分離とへだたりを生んでしまいます。
そして、近しい関係の人との分断は、自分の内面にも分断をもたらします。
どこか、自分のなかの一部がもがれたような、そんな感じがしてしまうのですよね。
なぜ、この人は謝れないんだろう?という視点
そうしたときに、一つたいせつな視点があります。
「なぜ、この人は謝れないんだろう?」
「この人が謝れないのには、どんな理由があるんだろう?」
もちろん、それは考えても分からないかもしれません。
分かったように思っても、それは違っているかもしれません。
けれども、なぜ、この人がそんなことをするのだろう?という視点は、私たちの心を広げ、そして深めてくれます。
相手を理解しようとすることは、自分自身の心の中にあるのに気づいていなかった面に、光を当てることだからです。
少し、分かりづらいでしょうか。
たとえば、「無口な人」「何も自分の意見を言わない人」がいたとして、その人がなぜ無口なのかを、コミュニケーションをとりながら考えてみたとします。
その人は、昔、自分の発した言葉で、誰かを傷つけてしまったのかもしれません。
あるいは、大切な人から、心ない言葉を投げつけられ、とても傷ついたことがあったのかもしれません。
もし、そうであるならば。
「無口であること」を、安易に責めたり、それが悪いことだと判断することに、少し立ち止まって考えることができるかもしれません。
そうした内面に想いを馳せるということは、自分の中にある「無口な私」にも光を当てることになるわけです。
そうすることは、「自分がボコボコにしていた、自分の内面にある『無口な私』」を、とてもやわらかな愛で包むことといえます。
「あなたは何も悪くないよ」
「あなたは、そのままでいいんだよ」、と。
それは、ひとつの統合であり、とても大きな自己受容です。
相手を理解しようとすることは、自分の内面に光を当てることでもあります。
だから、こうしたタイプ論や類型論を知ることは、誰かを当てはめたり、判断したりすることに使うのではなく、自分自身を知るために使うとは、そういった意味です。
今日は、「謝れない人」の心理に寄せて、書いてみました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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