だれかを恨んでいるのは、辛くしんどいものです。
恨むことは、誰かを攻撃することで生まれる罪悪感と、表裏一体だからです。
相手から謝ってくるのを待つのではなく、自分から主体的にその状況を解決できるという見方についてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.だれかを恨んでいるなら、自分のほうから謝ろう
「恨み」について注目すべきは、ありとあらゆる点で、「自分は絶対に正しい」という思いこみがつきまとっていることです。
これを信じるあまり、そこに固執したまま身動きがとれなくなってしまいます。
そこで自分の怒りや攻撃を正当化するために、だれかを悪者に仕立てあげるのです。
恨みが生まれるのは、自分を傷つけている観念体系にしがみつくときです。
それはまるで、ゴリラを憎むあまり檻のなかに閉じこめたら、いっしょに自分まで閉じこめてしまったようなものです。
恨みの奥には、かならず罪悪感が隠れています。
誰かを恨んでいるときは、自分のもっているその罪悪感を相手に投影しているのです。
この秘密が真実だと理解するのに、もっとも強力な方法があります。
それは、相手があなたをふみにじったと思うことについて、あなたのほうから謝ってみることです。
そのとたん、ふみじっていたのはじつは自分のほうだった、ということに気がつくはずです。
これによってあなたは自分の感情を感じられるようになり、どんなものが内側に隠れていたのかがわかるようになります。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.42
2.真実は、そう見えることとは真逆にある
恨まれるような人に、謝る?
小学校かどこかの掲示板に貼られた、ポスターの標語のような感がする、今日のテーマです。
しかしながら、少し様子が違います。
「誰かに悪いことをしたら、自分のほうから謝ろう」
なら分かるのですが、「だれかを恨んでいるなら、謝ろう」なのです。
一般常識的には、恨まれる人は、恨まれるようなことをしたのですから、善悪でいえば悪い方の側になるのでしょう。
恨んでいる人は、何らかの「損害」というマイナスを受けている。
だから、それに対して「謝罪」をして帳消しにしないといけないと考えるのが、普通でしょう。
しかし、どうやら本書で語られることは、その真逆のようです。
にわかには、理解しがたいですよね。
自分を傷つける観念を大事にするのは、罪悪感ゆえに
引用文にもある通り、「恨み」を持つということは、自分を傷つける観念を後生大事にしているようです。
自分を幸せにしない考え方で、自分自身を縛っている、とも表現できるでしょうか。
もちろん、誰もが好きこのんで、そうしているわけではないと思います。
その恨み、自分を傷つける観念の裏には、罪悪感がある、と。
罪悪感とは、自分は罰せられるべき人間であるという感情で、それがゆえに自分を幸せから遠ざける行動を取らせようとします。
厄介極まりない感情で、カウンセリングで出てくるような問題は、そのほとんどが罪悪感が原因とみても、差し支えないくらいです。
その罪悪感が生まれるのには、さまざまな要因があります。
「誰かを傷つけてしまった」、という経験は分かりやすいと思います。
しかしそれ以外にも、「助けられなかった、力になれなかった」、「見捨ててしまった」、「愛せなかった」、「自分が恵まれている」など、実に多くの場面で、人は罪悪感を抱えます。
恨んでいる人がいるとするなら、罪悪感によるイヤ~な感情を、その人に投影している、と本書は言っているわけです。
はい、イヤですねぇ・・・ほんと。
罪悪感について書いていると、気がずんずんと重くなってしまいます笑
3.癒しとは、見方を変えること
その状況は、自分で打開することができる
さらに本書では、自分のほうから謝ることを提案しています。
謝ってもらうのではなく、謝る。
たとえば、相手が謝ってくれなければ、自分の恨みは消えない、と考えていると、その状況は相手次第でしか解決できないことになります。
今日のテーマで語られているのは、そうではなくて、自分がその状況を打開できるという、ものの見方です。
それは一見すると、常識から外れているかもしれません。
けれどもその見方は、問題を誰かのせいにするのではなく、すべて自分が解決する力を持っているという、大きな信頼です。
これをすることによって、大きな恩恵が生まれます。
すなわち、「自分はひどいことをされた」という被害者をやめることです。
それはすなわち、「ひどいことをした人を恨んで、攻撃する」という罪悪感から、自分を解放するという、大きな大きな恩恵です。
引用した言葉の中の、とても秀逸な例えである「ゴリラの檻」のような状況から、自分を解き放つことができるのです。
いまの自分と違う見方を知るだけで、楽になる
とはいえ、恨んでいる人に、自分から頭を下げることなど、急には難しいものです。
なぜ私が!という心理的な抵抗が、湧いて出てきます。
私自身にしても、今日のこの言葉を聞いても、すぐには「そ、そんなこと、ないもん!」と拗ねたくなります笑
謝るかどうかは、タイミングがあるでしょうし、謝っても謝らなくても、人それぞれの選択なのだと思います。
けれども、そういった見方がある、と知ることは、それだけでも大きな大きな癒しなのだと思うのです。
「まあ、そんな考え方もあるか・・・」などと思えただけでも、「ゴリラの檻」の鍵は開き始めたと言えます。
そんな風に私は考えています。
なので、私のカウンセリングでは、「謝る」ことをご提案するよりも、まずはそうしたさまざまな見方をご提示することを、大切にしています。
そのためには、恨まざるを得なかった状況をお聞きすることを、大切にしたいと思っています。
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